カトリック平塚教会報 第107号 2016年 12月 24日発行
平塚教会主任司祭 トーマス・テハン
2016年も間もなく終わり、新しい年が始まろうとしています。12月21日の司祭叙階50周年(金祝)、クリスマス、新年元日と、この時期に3つの大きな祝事を迎えます。幸運なことに、クリスマス、元日ともに今年は日曜日にあたります。平塚・大磯地区のクリスマスと元日を、私は毎年とても楽しみにしています。どちらの教会もたくさんの人々でいっぱいになり、喜びを感じます。老いも若きも善意に満たされ、初めて来られた方々も歓迎の意を感じることができます。もちろん待降節の間の準備も、喜びに満ちたクリスマスを迎えるために重要な役割を果たしています。今年はさらに司祭叙階金祝を迎え、新たな思いを感じています。
12月に叙階したことは幸運でした。なぜなら、12月まですべての月でお祝いをしていただけたからです。金祝は、7×7+1と計算される、周年に係る聖書の考え方に基づいています。モーゼによれば、この年には土地や財産に休息を与え、経済的に得られたものや失われたものについて感謝するために、主に何かをお返ししなければなりません。物事をそれがあるべきところに戻すというのは、感謝の気持ちを表す喜ばしいやり方です。それは、必要なものをお与えになり、命をつないでくださる神様を感じる機会なのです。「神に感謝」という言葉に集約されるものです。
このような思いもあったため、この祝いの一年間は私にとってとても豊かな経験になりました。この一年間、いたるところに祝いがありました。まず、藤沢教会の聖書研究グループが平塚までお祝いにかけつけてくれました。私たちはミサの前に、教会の前で輪になって、祈りと恵みの時間をもちました。その時には、両手をとおしてエネルギーが増していくのを感じました。
聖週間の水曜日には、横浜司教区内で金祝を迎えた司祭のお祝いがミサ中、そしてミサ後に行われました。7月には、ダブリンのスリー・パトロンズ・チャーチで家族がミサを計画しました。地元の6名の司祭に来ていただき、共同ミサが行われました。ミサの前に私たちは祈りを捧げ、互いを祝福しました。私の兄弟の孫たちが、私の生涯を象徴するものをそれぞれ運んできてくれました。それは、家族の写真、聖コロンバンへの祈り、箸(台湾)、緑茶(日本)、日本の毎月、毎日のミサの朗読文、記念カードでした。
8月15日には、アイルランドのダルガンパークで、叙階50周年を迎えた20名に対するお祝いが開かれました。トム・キルケニー神父は、叙階70周年を祝いました。神学校時代の10名の同級生も同席し、すばらしい天候、おいしい食べ物のお恵みをいただきました。
日本に帰ってきて、典礼部による夏の秦野キャンプでもお祝いがありました。美味しい食事を皆で用意していただき、金祝の歌を作ってくださったことには驚きました。10月には、豊島、平塚・大磯、藤沢の3か所でお祝いがありました。
お祝いの準備の中で、私は人々や行事をとおして神様がなさってくださったことに重きを置くように努めてきました。さらに大切なことは、私たちがみな一緒になって、意味のある形でお祝いをできるということです。お互いのために祈る行為は、エネルギーを与えてくださる神様の命を実体験する試みなのです。記念カードのデザインは、神様の行いを目に見える形で取り込もうとする試みでした。私にとっては、このことが皆さんからいただくお祝いの本質であり、今度は私から皆さんへ神様の祝福を届けるよう努めたいと思います。食べ物や飲み物もお祝いの大切な部分ですが、それらは補足的な役割を果たすものです。皆さんに本当に感謝しています。
神様の限りないお恵みが皆さんにありますように。そして、皆さんが互いに祈り、恵みを与えあうことができますように。