2024年11月23日 神奈川第6地区にて「典礼と聖歌」について開催した研修会の動画が完成しました。どうぞご覧ください。
講師:宮越俊光氏
日本カトリック典礼委員会委員
上智大学・清泉女子大学非常勤講師
『礼拝と音楽』誌編集委員
※第6地区典礼研修会動画 – YouTube
2025年2月11日開催の第43回横浜教区典礼研修会の動画を公開しましたので、お知らせいたします。
※横浜教区典礼委員会 – YouTube
教皇フランシスコは、2024年5月9日、2025年の聖年を布告する大勅書「希望は欺かない」を発表しました。大勅書には2024年12月29日の聖家族の祝日に日本も含めたすべての司教座聖堂において、聖年の荘厳な開幕としてのミサを捧げました。また、聖年の横浜教区における巡礼指定教会についても、教区長より決定がなされましたので、併せてお知らせします。
【巡礼指定教会】山手司教座聖堂(カトリック山手教会)
※巡礼によって得られる免償についての規定は、以下、カトリック中央協議会公式ウェブサイトをご参照ください。
※教皇フランシスコにより発表 された 2025 年の通常聖年の間に与えられる免償に関する教令
※教皇フランシスコ、「2025年通常聖年公布の大勅書希望は欺かない」
YCK横浜教区カテキスタ会より、お知らせをいただきました。
2024年11月16日(土)に開催された公開講座の様子が、YouTubeで公開されました。
以下のURLからご覧いただけます。
「2025年 聖年に向けて〜希望の巡礼者として生きる〜」ホアン・アイダル神父
※動画視聴はこちら
「若い人が教会に居ない」って本当?小さかったあの頃、親と一緒に行った日曜日の教会。あの頃の友達は最近どうしてるのかなぁ?大人になって初めて出会った信仰。
教会でなかなか同世代の人に会えなくて…よく聞きます!でも…実は教会にはたくさんの青年が居るんです!自分の教会、地域、全国で信仰を中心に青年たちは出会い、どんどんつながりを深めています。そしていつも新しいつながりを歓迎しています。
横浜教区青少年委員会は下記の通りプチ高校生大会を合宿形式で開催します。
日 時:日時:2025年5月5日(月・祝)~6日(火・祝)
会 場:カトリック中原教会(川崎市中原区今井町南500)
対 象:高校生
参加費:4000円
主 催:横浜教区青少年委員会
※申込はこちら
締め切り:4月26日(土)厳守!
問い合わせ:教区青少年委員会 E-mail: youth3yokohama@gmail.com
詳しいご案内はこちらのPDFをご覧ください↓
※2025横浜教区プチ高校生大会パンフレットPDF
カトリック青年連絡協議会(横浜教区)
カトリック青年連絡協議会 (@pr_catholicyouth)
カトリック青年連絡協議会広報委員会
「共同宣教司牧サポートチーム神奈川 2025年度版研修一覧表」を聖堂入り口に掲示してあります。申込書は、司祭館事務室にあります。各講座ごとに申し込みの期日がございますので、御確認をお願いいたします。
※サポートチームの研修会・講座に関して、教区事務局への直接のお問い合わせはご遠慮ください
共同宣教司牧サポートチーム神奈川ウェブサイト
信徒・修道者・司祭による共同宣教司牧 交流会・養成研修会 2025年度研修 一覧
「オンライン講座のご案内 2025年度」はこちらから。
「ラウダート・シ」デスクは、2022年に日本カトリック司教協議会に設立された部門です。日本のカトリック教会が、教皇フランシスコの回勅『ラウダート・シ』で示されるインテグラル・エコロジーの歩みをともにするためのサポートを行っています。このサイトでは、インテグラル・エコロジーに関するさまざまな情報提供のほか、皆様からお知らせいただいた取り組み等の情報共有、諸活動への呼びかけを行っています。※「ラウダート・シ」実践のヒント
日本カトリック司教団文書『見よ、それはきわめてよかった―総合的なエコロジーへの招き』出版記念シンポジウムの動画が、カトリック東京大司教区のYouTubeチャンネルで公開されています。
※動画視聴はこちら
また、日本カトリック司教協議会より文書が公開されています。「キリスト者の共同体として、わたしたちは、すべてのいのちを守り、知恵と勇気をもってあかし」していきたい(教皇フランシスコ、東京ドームミサ説教)。一人でも多くの人が、この呼びかけにこたえてくださることを、心から願っています。
※公開文書はこちら
教皇やバチカンの動きをはじめ、国内外のカトリック教会に関するニュースを、どなたでも無料で読むことができます。
※「カトリックジャパンニュース」
リンク:バチカンニュース
リンク:Vatican News(Youtube)LIVE
2025年4月は、「新しいテクノロジーの使用」のために、次のように祈る。「新しいテクノロジーが、人間関係の代わりになるのではなく、人としての尊厳を尊重し、また、時代の危機に立ち向かう助けとなりますように」。~テクノロジーは神からわたしたちに与えられた知性の結晶です。しかし、それは上手に用いなければなりません。一部の人たちのみがその恩恵にあずかり、他の人たちが締め出されるようであってはいけません。~分断させるためではなく、一致させるために技術を用いることです。貧しい人々を助けるために、病者や障害者の生活を改善するためにそれを用いるのです。わたしたちが共に暮らす家を大切にするために、互いが兄弟姉妹として出会うためにテクノロジーを使うことです。~祈りましょう。新しいテクノロジーが、人間関係の代わりになるのではなく、人としての尊厳を尊重し、また、時代の危機に立ち向かう助けとなりますように。(抜粋)
この聖金曜日の夕方、「主の受難の儀式」が、バチカンの聖ペトロ大聖堂でとり行われた。~パソリーニ神父は説教で、わたしたちキリスト者は、「神が世界を救うために選ばれた方法への全幅の信頼」を新たにし、「人生で出会う受難、死、復活という運命と自分自身を和解させる」ことができる、と述べた。そして、「十字架の道」とは、キリストが示す「救いの歩み」であり、「最も重大な困難にあっても、御父を最後まで信頼し、その御旨に導かれることを望む者には、誰にでも開かれた」道である、と説いた。~十字架は「効率ではなく、自らを捧げる愛に基づく真の選択の可能性をわたしたちに取り戻させる」と話した。(抜粋)
4月13日(日)、カトリック教会の典礼暦は「受難の主日(枝の主日)」を記念し、復活祭へと向かう直前の一週間、「聖週間」を迎えた。~ミサの始めには、エルサレムに入るイエスを、人々が自分の服や木々の枝を敷いて迎えた出来事を記念し、編み込んだシュロの葉を掲げた枢機卿らをはじめ、オリーブなど木々の枝を手にした司教、司祭、助祭、修道者、信徒らによる行列が、広場のオベリスク前から大聖堂正面に向かって行われた。~ミサの終わりに、教皇フランシスコが祭壇前に姿を見せられ、「よい枝の主日を!よい聖週間を!」と人々に挨拶をおくられた。(抜粋)
「わたしたちの希望、イエス・キリスト」をめぐるカテケーシスの「第2章 イエスの生涯・出会い」の4回目として、マルコ福音書10章に語られるイエスと金持ちの男との出会いが取り上げられた。~わたしたちの行為や、犠牲、成功を超えて、幸せであるために本当に重要なものは、心に抱いているものである。~イエスは、わたしたちの中と同様、彼の中に欠けたものがあることを見抜かれた。それは、われわれが心に抱く「愛されたい」という願望である。人間として、わたしたちは皆、一つの傷を持っている。その傷を通して愛が入ってくるのである。この欠かけたものを補うために、承認や、愛情、評価を「買う」必要はない。それに対して、自分を重くしているすべてのものを「売り払い」、わたしたちの心をもっと解放しなくてはならない。自分自身のために取り続けることをやめ、むしろ貧しい人々に与え、仕え、分かち合わなくてはならない。(抜粋)
第264代ローマ教皇、ヨハネ・パウロ2世(カロル・ヴォイティワ、1920.5.18ポーランド生まれ、在位:1978.10.16-2005.4.2)は、今から20年前、教会暦で復活祭から一週間後の「神のいつくしみの主日」の前夜に帰天した。~聖ヨハネ・パウロ2世が日頃繰り返していた「すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されている」(ヘブライ人への手紙4,13)という言葉を示しつつ、同教皇の全生涯、すべての使命は、神の御前における完全な透明性の中にあったと回想。神の御目の前で生きていることを自覚する者は何も隠すことがなく、人々の目を恐れない。人々の歓心を買うより、神の御前で生きることを大切にする、それがヨハネ・パウロ2世のあらゆる状況下での勇気と絶えざる信仰の証しの基礎の一つであった、と話した。(抜粋)
この2025年の聖年にあたり、「いつくしみの宣教者」として派遣された司祭およそ500人が信者や親族たちとローマを訪れ、各所の巡礼や、国際会議、ミサなどに参加した。~「回心とゆるしを通して、主はわたしたちの目からすべての涙を拭ってくださる。主の御手をもって、教会は罪びとを抱擁し、その御足に沿って、わたしたちはこの地上の巡礼を歩む」と教皇は述べている。教皇は、聴罪師の務めにおいて、注意深く傾聴し、人生を改め、主の元に戻ることを望む人々を受け入れ、その歩みに絶えず寄り添うことができるようにと、司祭らに願われた。(抜粋)
教皇は、この地震が東南アジア、特にミャンマーとタイにおいて、多くの犠牲者と広範な被害をもたらしたことに深い悲しみを表された。教皇は亡くなった方々の冥福を祈ると共に、この悲劇に見舞われたすべての人々に霊的な寄り添いを示された。また、教皇は負傷者や避難民の支援にあたる救急隊員のために力と忍耐を神に祈られている。(抜粋)
復活祭を前に、回心し、悔い改め、神のいつくしみを受け入れるべき時であるこの四旬節、内赦院が主催するセミナーが今年もバチカンで開かれた。~教皇はセミナー参加者に向けた言葉で、聖年の巡礼者たちとゆるしの秘跡をとり行うことは大きな恵みであると強調。そのためにも、自分たち自身がまず何よりも神のゆるしの対象であることを忘れないようにと指摘されている。そして教皇は、「祈りの人」となり、祈りの中からイエスの御業の延長としてのゆるしの秘跡の本質を汲み取るようにと聴罪司祭らを励まされている。「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない」(ヨハネ8,11)。聖年において、主のこの解放の言葉が、人々の心の刷新と、神との和解、兄弟愛に基づく新しい関係の構築のために、全教会に響くことを教皇は願われた。(抜粋)
教皇はガザ地区への空爆再開に心痛を表され、即時停戦と対話をアピールされた。~ガザ地区へのイスラエルの激しい空爆の再開が多くの死傷者をもたらしていることに深い悲しみをおぼえます。ただちに武器を収め、対話を再開する勇気を持つことができますように。すべての人質を解放し、最終的な停戦に到達することができますように。ガザ地区の人道的状況は非常な深刻さに再び陥っています。紛争の当事者たちと国際社会の緊急の取り組みが必要です。これに対し、アルメニアとアゼルバイジャンが和平協定の最終文書に合意したことをうれしく思います。この文書が一刻も早く調印され、南コーカサスにおける恒久的な平和の確立に寄与することができますように。(抜粋)
5月に記念される「世界召命祈願の日」に先立ち、教皇フランシスコのメッセージが発表された。~カトリック教会は、「善き牧者の主日」と呼ばれる復活節第4主日に「世界召命祈願の日」を記念する。この日は、特に司祭や修道者への神の招きに、より多くの人が応えることができるように、またそれぞれの信者がキリスト者として自らの召命を見出せるように、全教会が祈りを捧げる。今年5月11日(日)に記念される同祈願日のテーマは、「希望の巡礼者:人生の贈り物(仮訳)」。~「自らの召命を受け入れる」ことの大切さに触れながら、「すべての召命は、希望により生かされ、それは摂理への信頼へとつながっていく」、「キリスト者にとって希望を持つとは、単に人間的な楽観ではなく、むしろ、各自の人生の中で働かれる神への信仰に根差す確信と言える」と記している。(抜粋)
教皇フランシスコは、イタリアの「コッリエーレ・デッラ・セーラ」紙の編集長に宛てた書簡で、平和への努力を訴えられた。~今ではリアルタイムで世界を一つにするコミュニケーション手段を通じて、情報を伝えるべく労力と知性を捧げる貴方とすべての人々を励ましたく思います。皆さんは言葉の大いなる重要性を感じているでしょう。それは単なる言葉ではなく、人間の環境を作り上げるものです。それらはつなぐことも、分裂させることも、真実に奉仕することも、それを利用することもできるのです。わたしたちは、言葉の、心の、そして地球の武装を解かなければなりません。そこでは、内省と冷静さ、複雑さの認識が大いに必要とされています。(抜粋)
教皇フランシスコは、3月13日、選出から12年を迎えられた。教皇フランシスコ(本名:ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ)は、2013年3月13日、ベネディクト16世の引退に伴うコンクラーベで、第266代目のローマ教皇に選出された。~教皇は昨年5月、2025年の聖年を布告する勅書『スペス・ノン・コンフンディト』を公布、2024年度降誕祭の夜半のミサで、教皇はバチカンの大聖堂の「聖なる扉」を開き、「希望の巡礼者」をテーマとする聖年の開幕を告げた。世界に広がる紛争や暴力に対し、教皇は一貫して対話をとおした平和構築をアピールされ、現在もウクライナ、パレスチナ、イスラエル、レバノン、ミャンマー、スーダン、コンゴ民主共和国をはじめ、世界のすべての場所に平和の賜物を祈られている。(抜粋)
ボランティアの世界を対象とした聖年の一連の行事が、3月8日から二日間、バチカンとローマ市内を会場に行われた。~ 「イエスと荒れ野を横切り、道のない場所を行く時、イエスご自身がわたしたちに解放と贖いの新しい道を切り開かれる。信仰をもって主に従うならば、さすらいの旅は巡礼となる」と教皇は説いている。イエスの模範に倣い、人に仕えさせるのではなく、人に仕え、病者や、苦しむ人々、受刑者、若者、お年寄りたちに寄り添うボランティアの人々の献身は、社会全体に希望を広げるもの、と述べ、教皇はボランティア界の人々に深い感謝を表された。(抜粋)
「いのちのための運動(モヴィメント・ペル・ラ・ヴィータ)」は、イタリアのフィレンツェで1975年、「いのちを助けるセンター」の創設から始まり、次第にイタリア全土に広がっていった。特に難しい状況の中での妊娠や、思いがけない妊娠に悩む女性、子どもを持つことに恐れを抱いているカップルなどに手を差し伸べると共に、受胎から自然な死に至るまでのいのちの価値を推進してきた。~神が創造されたいのちの聖なる価値を強調しつつ、公正な社会とは、望まれない胎児や、自立できなくなった高齢者、治療が困難な患者を排除することによって築かれるものではない、と記している。(抜粋)
教皇フランシスコは、教皇庁立生命アカデミーの総会参加者にメッセージをおくられた。~今日の「複合危機」の背景で絡み合う、戦争、気候変動、エネルギー、感染症、移民現象、技術革新などの多様な問題を列挙。わたしたちの生活に様々に関与してくるこれらの複合的な危機を前に、世界の未来をどう解釈すべきかを問わざるを得ない、と述べている。~変化に対する、個人、社会の根深い抵抗を真剣に分析しなければ、われわれは他の危機と同じことを続けるだけだろう~もう一つの重要な一歩は、いつもの安心や習慣や恐れにしばられて不動でいないこと、そして、科学の知識の貢献に注意深く耳を傾けること~先のシノドスでの体験を回想しつつ、傾聴という姿勢の重要さを改めて提示。~複雑で地球規模の危機に直面しているわたしたちは、希望が持つこのような共同体的側面のためにも、グローバルな広がりを持つ手段を重要視する必要がある、と強調された。(抜粋)
教皇フランシスコは、3月2日(日)、お告げの祈りのための説教をバチカンの広報局を通して発表された。~イエスはわたしたちに五感のうちの二つの感覚、視覚と味覚について考えさせます。~「まず自分の目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目にあるおが屑を取り除くことができる」(同6,42)。非難ではない、配慮あるこの眼差しをもってこそ、兄弟愛に基づく矯正は一つの徳となり得るのです。~味覚に関して、イエスは「木は、それぞれ、その結ぶ実によって分かる」(同6,44)ということをわたしたちに思い出させてくださいます。~「人の口は、心からあふれ出ることを語る」(同6,45)からです。悪い実とは、乱暴で偽りに満ちた俗悪な言葉のことです。これに対し、良い実とは、わたしたちの対話に味わいをもたらす、公正で誠実な言葉のことです。~自問しましょう。わたしは兄弟姉妹である他の人々をどのように見ているでしょうか。そして、わたしは彼らからどう見られていると感じているでしょうか。わたしの言葉は良い味を持っているでしょうか。それともそれは苦さと虚栄に満ちているでしょうか。」(抜粋)
カトリック教会の典礼暦は、3月5日の「灰の水曜日」から、復活祭の準備期間である「四旬節」に入る。今年の「四旬節」のメッセージのテーマは、「希望の中を共に歩もう」。教皇はこのメッセージで、聖年の恵みで豊かにされたこの四旬節に、「希望のうちに共に歩む」ことの意味を考え、神のいつくしみが、個人そして共同体としてのわたしたちに向ける回心の呼びかけを発見するようにと招いている。~教皇はこの四旬節に、自分たちの生活、家庭、職場、小教区、共同体において、わたしたちが他者と共に歩み、耳を傾け、自分の言い分に立てこもる誘惑に打ち勝っているかを省みるよう助言された。(抜粋)
「芸術家と文化の世界のための聖年」のミサがバチカンで祝われた。~ 芸術と文化に携わる人々に、「皆さんはイエスの説教の革命的ビジョンの証し人となるように召されている」と教皇は語りかけ、「皆さんの使命は、美を創造するのみならず、歴史の襞に隠された真・善・美を明らかにし、声なき人に声を与え、苦しみを希望に変えること」と励まされた。「新たな壁が築かれ、違いを互いを豊かにする機会とせずに、分裂の口実とする時代にあって、皆さんは橋を架け、出会いと対話の場を作り出し、精神を照らし、心を温めるように召されている」と述べつつ、教皇は「福音に導かれた、新しい世界を告げる芸術」の開花を祈られた。(抜粋)
教皇フランシスコは、米国の司教たちに、移民問題をめぐり書簡をおくられた。~この書簡で教皇は、米国で見られる不法移民の強制送還計画の開始による大きな「危機」を注視。~ 「法治国家とは、すべての人々、特に最も貧しく疎外された人々が受けるべき尊厳ある扱いの中にこそ表される」と強調された。教皇は、イエス・キリストを告げ、基本的人権を推進しながら、移民・難民に寄り添い働くように米国の司教らを励まされた。そして、移民や難民の兄弟姉妹を差別し、無用な苦痛を与えるような見方に屈しないように、教皇はすべてのカトリック信者と善意の人々に呼びかけている。(抜粋)
教皇フランシスコは、パリで開催された人工知能(AI)をテーマにしたサミットにメッセージをおくられた。~人工知能に関し皆が参加できるプラットフォームの創設や、すべての国が人工知能を、発展促進や、貧困との闘い、地域の文化・言語の保護に役立てることができるような取り組みを望まれた。そして、教皇は、こうしてのみ、地球上のすべての人々は、人工知能に利用される、全人類の特徴である真の多様性と豊かさを反映するデータの作成に寄与することができるだろう、と記された。(抜粋)
「第99回世界宣教の日」に向け、教皇フランシスコのメッセージが発表された。~2025年度の「世界宣教の日」のテーマは、「人々の中の希望の宣教者(仮訳)」。~教皇は、「静止した教会ではなく、世界の道を主と共に歩む宣教的な教会」を、主がご自身の後に従うようにと常に永遠に呼びかける教会の姿として示された。主キリストに従う者は、出会う人々の具体的な生活状況を分かち合うことを通して福音を伝え、希望をもたらし、希望を築くように召されている、と教皇は言う。聖年の布告勅書でも述べたように、最も貧しく弱い立場の人々、病者、高齢者、また物質主義・消費主義的社会から疎外された人々に特に配慮し、「寄り添い、憐れみ、優しさ」という、神のなさり方をもって、人々の具体的な状況の中で関係を育んでいくようにと促された。(抜粋)
子どもの権利をめぐる「世界リーダー・サミット」が、バチカンで開催された。~教皇は開会の言葉で、今日、いまだ無数の子どもたちの生活が、貧困・戦争・教育の機会の欠如・不正義、搾取によって傷つけられている現状を直視された。~わたしたちが残念ながらこのところ毎日目にしているように、子どもたちが爆撃の下で亡くなり、権力や、イデオロギー、ナショナリズムの偶像の生け贄にされていることを決して認めてはならない、と教皇は述べ、「子どものいのちはかけがえのないものであり、子どもたちのいのちを奪うことは、未来を否定すること」と強調された。~「今日、暴力や、搾取、不公正の中で生きる子どもたちの声に耳を傾けることは、戦争や切り捨ての文化に対する、われわれの『ノー』を強めることにつながる」と述べた教皇は、「子どもたちは観察し、理解し、記憶する。そして、その表情と沈黙で、わたしたちに語りかけている。子どもたちに耳を傾けよう」と呼びかけられた。(抜粋)
「聖年の土曜日の謁見」は、聖年中にローマを訪れる巡礼者たちのために、毎週水曜日の一般謁見に加え、隔週を目安に土曜日に開催されるもの。土曜日の謁見では、教皇は聖年のテーマ「希望の巡礼者」に沿って、「希望」を様々な角度から考察するカテケーシスを行われる。教皇はこの日、「希望するとは、向き直ること。マグダラのマリア」をタイトルに講話された。~聖年は人々にとって、そして世界にとって新たな始まりである。聖年は、神の夢においてすべてを捉え直すべき時である。「回心」という言葉は方向の転換を意味する。すべてを別の視点から眺められるようになることで、わたしたちの歩みも新しい目標に向かうことができる。こうして、決して欺かない希望がわき上がる。~自分の居場所とは何なのか、どのような使命を主はわたしに与えられるのかを考えてみよう。こうした考えが人生で勇気ある態度をとるための助けとなるように。(抜粋)
カトリック教会は、毎年、「聖霊降臨」の前週の日曜日(今年は5月25日)に、「世界広報の日」を記念し、多様な形態のメディアを通して行われる福音宣教について教会全体で考え、祈りを捧げる。~2025年度のテーマは、「あなたがたが心に抱いている希望を穏やかに分かち合いなさい」(仮訳、参照1ペトロ3,15-16)。~教皇は心に語りかけるコミュニケーション、幻想や恐れを売るのではなく、希望する動機をもたらすことのできるコミュニケーションのあり方を望まれた。~私たちを希望へと開く、注意深く優しい、思慮に満ちたコミュニケーションの大切さと、隠れた善を見出し、それを語る必要性を示された。~そして、「柔和で、相手の顔を忘れず、人々の心に語りかけ」、「本能的な反応をコミュニケーションの指針にせず」、「たとえ実を結ばないと思われる時でも常に希望を蒔く」、人類の傷をいやすコミュニケーションの実践を励まされた。(抜粋)
今日記念する「主の洗礼」の祝日は、わたしたちが受けた洗礼をはじめ、多くのことを考えさせる。イエスは、罪のゆるしのために洗礼を受けに行くご自分の民と一緒になられる。~今日の祝日は、イエスの人性を通して表される神の御顔と御声を観想させる。では、自問しよう。自分は愛されていると感じているか。自分は神から愛され、見守られていると感じているだろうか。それとも、神は遠い存在だろうか。神の御顔をイエスの中に、兄弟姉妹の中に認めることができるだろうか。神の御声に耳を傾けているだろうか。わたしたちは自分の洗礼日を思い出せるだろうか。それは重要なことである。思い出せない時は、両親や代父母に聞こう。そして、その日を新たな誕生の日、神の霊において生まれた日として祝おう。おとめマリアにより頼み、助けを祈ろう。そして、洗礼の日を思い出そう。(抜粋)
現在、バチカンと完全な外交関係を結ぶ国は184カ国。これらに、欧州連合とマルタ騎士団が加わる。~世界が数多くの紛争や恥ずべきテロ行為の中で新年を迎えたことを遺憾としつつも、この聖年を背景に「希望の外交」を提示しながら、対話による平和構築を訴えられた。~世界戦争の脅威がより具体化するのを前に、外交の召命は、「不都合な」相手や、正当な交渉相手と認められていない人をも含む、すべての人との対話を促進することであり、これが憎しみや復讐の連鎖を断ち切る唯一の道である、と教皇は述べた。~「キリスト教的観点から、聖年とは恵みの時である」と述べた教皇は、2025年が真理、赦し、自由、正義、平和に満ちた、恵みの年となることを切に祈られた。(抜粋)
多くの挑戦を前に、神はとどまることはない。神は、損得計算なく、無条件に、すべての人、わたしたち一人ひとりに到達するために、あらゆる方法を見つけられる。神は、人類の最も暗い夜でさえも、光の窓を開けられ、その光を闇が覆うことはない(参照 イザヤ9,1-6)。これは特に、光と、希望、平和を大いに必要とし、人類が複雑な状況を作り出し、そこから抜け出せないように思われる今日、わたしたちをなぐさめ、力づける現実である。~いのちに「はい」と答え、いのちをもたらすことを選びながら、希望のメッセンジャーとなるようにとわたしたちを促している。皆でこれを実行しよう。これが救いへの道である。さあ、年の初めに自問しよう。自分が置かれた環境や人間関係の中で、どのような方法で、光の窓を開けることができるだろうか。どんな場所で、神の愛を伝える光となれるだろうか。イエスに導く星であるマリアよ、すべての人のために、御父の愛の輝く証しとなれるよう、どうかわたしたちをお助けください。(抜粋)
ローマの城壁外の聖パウロ大聖堂で、聖年の扉が開かれた。これによりローマの4つの教皇直属バシリカのすべての「聖なる門」が開いた。~ローマのアウレリアヌス城壁からおよそ2km外側、オスティア街道沿いにある、城壁外の聖パウロ大聖堂は、使徒聖パウロが殉教後埋葬された場所に、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が教会を建て、324年に献堂したものを起源とする。~説教でハーヴェイ枢機卿は、二千年にわたり主イエスの復活を告げながらこの世の道々を歩んできた教会共同体の一員として自らを感じ、先人たちの信仰をたどりつつ霊的な旅を開始して欲しいと、信者らに呼びかけた。(抜粋)
COP29の参加者らに精神的な寄り添いを表された教皇は、同会議が、自らの利益に固執する態度を超えた視点を持ち、人類のための善と、神がわたしたちに世話と責任を委ねられた「共に暮らす家」を中心に据えることができるようにと励まされた。もはやこれ以上の遅れは許されないこと、被造物の保護が今日の最も急務の課題の一つであることを、科学的データは明らかに示している、と教皇は述べた。同時に教皇は、環境保全が平和の維持と緊密に結びついている事実を認識するように招かれた。~多国間の機関への失望と、壁を築く風潮が高まる中でこのCOP29が開催されたことに触れ、相互に繋がった同じ地球村の唯一の家族の一員として行動、生活すべきところに、個人、国家、権力集団のエゴイズムが不信と分裂の傾向を煽っている、と警告された。~「今、無関心でいる時間はない。自分は関係ないと、距離を置き、構わないでいることはできない。これは今世紀の正真の課題である」と訴えられた。(抜粋)