2024年9月7日(土)に行われた、日本カトリック司教団文書『見よ、それはきわめてよかった―総合的なエコロジーへの招き』出版記念シンポジウムの動画が、カトリック東京大司教区のYouTubeチャンネルで公開されましたのでお知らせいたします。
※動画視聴はこちら
第56回横浜教区一粒会大会の同時視聴配信がYouTubeにて行われます。
テーマ:「わたしについてきなさい。人間をとる漁師にしよう」(マルコ1.17)
日 時:2024年10月14日(月)スポーツの日 12:00~15:00
以下のURLから配信先(松本教会YouTubeチャンネル)にアクセスすることができます。
詳細については以下のリンクをご覧ください。
※第56回 横浜教区一粒会大会のお知らせ
※同時視聴はこちらから
横浜教区カテキスタ会では、公開講座を下記の通り開催します。
テーマ:「2025年 聖年に向けて~希望の巡礼者として生きる~」
講 師:ホアン・アイダル師(イエズス会士・上智大学神学部教授)(サン・ミゲル神学校時代、現教皇フランシスコ(当時ホルヘ・マリオ・ベルゴリオ神父)に師事)
日 時:2024年11月16日(土)10:00~14:30
受付 10:00
オリエンテーション 10:20
第一講話 10:30~11:30
昼食 11:30~12:40
第二講話 12:40~13:30
第三講話 13:40~14:20
質疑応答 14:20~14:30
会 場:カトリック雪ノ下教会 レベック・ホール(鎌倉市小町2-14-4)
参加費:1000円
主 催:YCK(横浜教区カテキスタ会)
持ち物:飲み物・昼食(外食可)
申込先:メール yckjimukyoku@aol.jp
FAX 045-835-1082
※氏名・所属教会・連絡先(TEL)を明記してお申し込みください。
先着100名まで
締 切:11月10日(日)
ご参加お待ちしております。
「若い人が教会に居ない」って本当?小さかったあの頃、親と一緒に行った日曜日の教会。あの頃の友達は最近どうしてるのかなぁ?大人になって初めて出会った信仰。
教会でなかなか同世代の人に会えなくて…よく聞きます!でも…実は教会にはたくさんの青年が居るんです!自分の教会、地域、全国で信仰を中心に青年たちは出会い、どんどんつながりを深めています。そしていつも新しいつながりを歓迎しています。
今年度も日本カトリック神学院にてザビエル祭が開催されます。「すべての人を一つにしてください」(ヨハネ17・21)というテーマのもと、オンライン企画として動画の配信も予定されています。多くの皆様のご来場を心よりお待ち申し上げております。
― 記 ―
会場 日本カトリック神学院
〒177-0052 東京都練馬区関町東2-7-10
日時 2024年11月23日(土・祝日) 9:00~15:00
<プログラム>
9:00~ 開場
10:00~ ミサ (主司式 長崎大司教区 中村倫明大司教)
ミサ後 模擬店販売・神学生企画 開始
11:45~ コンサート(イエスのカリタス修道女会「スモールクワイヤ」)
12:30~ 講演 (講師 長崎大司教区 中村倫明大司教)
14:30〜 閉会式
動画配信 YouTubeにて期間限定配信予定
※ 駐車場はございませんので、公共交通機関でのご来場をお願いいたします。
※食品の販売もございますが、数に限りがございますので、ご心配な方は各自お持ちください。
詳細については、今後日本カトリック神学院のHPに掲載される情報をご確認ください。
横浜教区青少年委員会は下記の通り青年の集いを開催します。
日 時:2024年11月16日(土) 11:00~17:00
会 場:カトリック由比ガ浜教会
神奈川県鎌倉市由比ガ浜1-10-35
対 象:18歳以上の青年(高校生不可)
参加費:無料
主 催:横浜教区青少年委員会
担当司祭:鈴木真神父 (山手教会)、保久要神父 (雪ノ下・由比ガ浜教会) 、谷脇慎太郎神父(横浜司教館・磯子教会)
申 込 :こちら
全国のカトリックの青年を対象とした交流と情報交換の場であるネットワークミーティング(NWM)が、来年2月に横浜で開催されます。
テーマ:「GOTEMBA de OTEMBA」
日 時:2025年2月22日(土)13:00集合~ 23日(日)15:30解散予定
会 場:国際青少年センター YMCA東山荘
〒412-0024 静岡県御殿場市東山1052
対 象:18歳以上の青年(高校生不可)
参加費:学生6,000円 社会人8,000円
主 催:第48回NWMin横浜 実行委員会
後 援:カトリック青年連絡協議会
カトリック横浜教区青少年委員会
問い合わせ先:nwm48yokohama@gmail.com
申 込 :こちら
最新情報 :NWMin横浜のHP
※第48回NWMin横浜 ポスター
カトリック青年連絡協議会(横浜教区)
カトリック青年連絡協議会 (@pr_catholicyouth)
カトリック青年連絡協議会広報委員会
「共同宣教司牧サポートチーム神奈川 2024年度版研修一覧表」を聖堂入り口に掲示してあります。申込書は、司祭館事務室にあります。各講座ごとに申し込みの期日がございますので、御確認をお願いいたします。
※サポートチームの研修会・講座に関して、教区事務局への直接のお問い合わせはご遠慮ください
共同宣教司牧サポートチーム神奈川ウェブサイト
信徒・修道者・司祭による共同宣教司牧 交流会・養成研修会 2024年度研修 一覧
リンク:バチカンニュース
リンク:Vatican News(Youtube)LIVE
2024年10月は、「使命を担い合う」ために、次のように祈る。「教会が、共同責任のしるしとして、あらゆる場面でシノドス的な生活様式を維持し、司祭・修道者・信徒の参加と交わりをもって使命を推し進めることができますように」。~ 祈りましょう。教会が、共同責任のしるしとして、あらゆる場面でシノドス的な生活様式を維持し、司祭・修道者・信徒の参加と交わりをもって使命を推し進めることができますように。(抜粋)
教皇フランシスコは、10月11日(金)、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領をバチカン宮殿に迎えられた。ゼレンスキー大統領のバチカン訪問は、2020年を最初に、ウクライナ戦争勃発から1年4か月後の2023年5月、そして今回で3度目となる。~11日午前行われたゼレンスキー大統領のバチカン訪問で、教皇は同大統領と35分にわたる個人会談を持たれた。~ウクライナにおける戦争の情勢と人道的状況が中心テーマとなり、停戦への道のりや、それに伴う正しい、安定した平和についても話し合われた。さらに、ウクライナでの宗教活動をめぐるいくつかの問題についても検討が行われた。(抜粋)
教会の一致は、人々の間の一致であり、机上ではなく、生活を通して実現するものである。皆が一致を心の底から望むが、それは夫婦や家族の中でさえ難しいことがある。一致と調和は実現が難しいもののひとつであり、それを維持することはさらに難しい。それは、皆が一致を望んだとしても、それを各自の視点を中心に望み、他者の視点を考えないからである。それでは一致は遠ざかるばかりである。聖霊による、ペンテコステの一致は、自分ではなく、神を中心に据える努力をする時に実現する。キリスト者の一致も同様である。自分たちのいる場所に他者が追いつくのを待つのではなく、一緒にキリストに向かって動くことでそれは実現する。わたしたちが一致と平和の道具となれるように、聖霊に助けを願おう。(抜粋)
教皇フランシスコは、10月6日(日)の正午の祈りで、菊地功・東京大司教を含む21名を、新枢機卿として発表された。 教皇は、来たる12月8日に枢機卿会議を開催し、新枢機卿の任命式を行う旨を明らかにされた。~12月8日に行われる21人の新枢機卿の任命式後、枢機卿会のメンバーの総数は256人、このうち教皇選挙の投票権を持つ80歳未満の枢機卿は141人、投票権を持たない80歳以上の枢機卿は115人となる見込み。(抜粋)
「共に歩む教会のため − 交わり、参加、そして宣教」をテーマにした「シノドス第16回通常総会」の第2会期が、10月2日、荘厳なミサと共に開幕した。~教皇は、祈りとみことばの光のもとに、聖霊の助けをとおして、教会に語りかける神の「声」と共に、人々の「声」に、すなわち、考えや、望み、提案に耳を傾ける大切さを強調。シノドスは議会ではなく、交わりのうちに傾聴し合う場所であり、そこでは兄弟たちの益になるよう神から与えられたもののエコーとして、すべての言葉に感謝と素直さをもって聞き入る必要がある、と話された。わたしたちの間に、経験豊かで、力強い考えや、優れた直感を持った卓越した人々が多くいることは、一つの豊かさであり、わたしたちの刺激の源である、と教皇は述べつつ、しかしながら、これらの恵みを、時には緊張を緩め、ひざまずき、温かい抱擁のように互いに与え合う能力と一致させる必要がある、とも話された。実際、抱擁し、守り、いたわり合うことは、教会の本質の一部であると述べた教皇は、「平和的で開かれた場所」、母の腕の中にいる子や、父に抱き上げられ頬ずりされた子のように感じることができる場所としての教会を、まずはそれぞれの心の中に持たなければならない、と説かれた。(抜粋)
「共に歩む教会のため − 交わり、参加、そして宣教」をテーマにした「シノドス第16回通常総会」の第2会期(2024年10月2日−27日)が、2日開幕した。同シノドス開会に伴い、9月30日(月)と10月1日(火)、関係者らによる黙想が行われた。~罪は常に神との関係、兄弟姉妹との関係を傷つけるもの、と述べた教皇は、兄弟姉妹や、大地とすべての被造物にゆるしを乞わずして、どうして神の名を呼び求めることができるだろうか、と話された。また、教皇は、和解なしに、どうして共に歩む教会を実現できるだろうか、キリストにおける交わりを再び取り戻させるゆるしを願い、また与えることなしに、どうして共に歩みたいと明言することができるのか、と強調された。そして、教皇は、この日、教会暦で記念された宣教の保護者、幼いイエスの聖テレジアの取り次ぎを願いながら、神に「わたしたちのすべての罪をおゆるしください。わたしたちの罪によって傷ついた人々に、恥入りつつ、ゆるしを乞いたいと思います。真の回心のために誠実な悔い改めの勇気をお与えください」と祈った。(抜粋)
教皇フランシスコは、9月29日、ルクセンブルクとベルギーへの訪問終了後、ローマに戻るための特別機の機内で、随行の記者団と対話を行われた。教皇は、第46回目の海外司牧訪問(イタリアを除く)として、9月26日から同日まで、ルクセンブルクとベルギーの2ヵ国を訪れていた。機内で行われた教皇と記者たちとの対話のテーマは、今回の訪問国と関連したものが大半を占めたが、中には世界情勢をめぐるものもあった。~(抜粋)
教皇は関係者への挨拶で、ベルギーという文化や民族が交差する十字路において、この国の教会が「動く教会」として、地域の小教区の改革や、信徒の養成に努力し、人々に寄り添い、いつくしみを証しするする共同体作りに取り組んできたことを評価された。こうしたベルギーの教会が今後進むべき道を考察するためのキーワードとして、教皇は「福音宣教」「喜び」「いつくしみ」の3つを示された。~わたしたちは「過ちを犯した者は、償わねばならない」という地上の正義をあてはめるが、神の正義はそれを超えるもの、と教皇は述べ、過ちを犯した人は償うことを求められるが、その人が心からいやされるには、神のいつくしみ深い愛が必要である、と語られた。(抜粋)
教皇フランシスコは、訪問先のルクセンブルクで、カトリック共同体との出会いを持たれた。~ルクセンブルクの人口およそ65.4万人(2023年)のうち、宗教的割合は、カトリック41.5%、プロテスタント5%、イスラム教2%、そして無宗教が27%を占める。~「慰め」というキーワードと、今回のご自身のルクセンブルク訪問のテーマ「仕えるために」を示しながら、教皇は「仕える」こと、「慰める」ことは、イエスがわたしたちに与えられた愛の二つの基本要素であると強調。~助けと受け入れを求めるすべての人々に開いた「奉仕」する教会、世俗的社会に負けず、挑戦を受け入れ、変わることのない価値観への忠実のうちに、新たな「福音宣教」の道を見出す教会、そして「喜び」に満ちた信仰を持つ教会の、これらのビジョンを示しつつ、ルクセンブルクのカトリック共同体を励まされた。(抜粋)
ヨルダン川での洗礼のすぐ後、イエスは「悪魔から誘惑を受けるため、”霊”に導かれて荒れ野に行かれた」(マタイ4,1)。これを働きかけたのは、悪魔ではなく、神である。荒れ野に行かれたイエスは、聖霊が与えるインスピレーションに従い、敵の策略にはまらなかった。荒れ野での試練を乗り越えたイエスは「”霊”の力に満ちてガリラヤに帰られた」(ルカ4,14)と福音書は記している。~悪霊との闘いには、荒れ野におけるイエスのように、神の御言葉によって、勝つことができる。~さあ、「ベニ・クレアトル」の賛歌の言葉をもって、聖霊に祈ろう。わたしたちから敵を遠ざけ、ただちに平安をお与えください。われらを導かれるあなたによってすべての悪を避けることができますように。(抜粋)
2024年11月24日(日)に記念される「第39回世界青年の日」に先立ち、教皇フランシスコのメッセージが発表された。~教皇はメッセージで、今年の「世界青年の日」のテーマ「主に望みをおく人は、[…] 歩いても疲れない」(イザヤ40,31)を示しながら、間もなく訪れる2025年の聖年を前に、希望の巡礼者として疲れることなく歩むように若者たちに呼びかけている。教皇は、今年のテーマとなっているイザヤ書の言葉は、「慰めの書」(イザヤ40-55)と呼ばれる部分から採られており、そこではイスラエルの民のバビロン捕囚の終わりと、希望と再生の新しい段階の始まりが告げられていることを説明している。~バビロンのイスラエルの民に起きたように、若者たちのもとにも希望の知らせが届き、主は新しい道を開かれ、それを喜びと希望のうちに歩むように招かれる、と述べている。そして、教皇は若者たちの巡礼の歩みを、様々な角度から、次のように励ましている。1.人生とその挑戦の巡礼・・・(抜粋)
年間第24主日、教皇は集いの説教で、この日の福音朗読箇所、「それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか」と弟子たちにお尋ねになるイエスに、ペトロが「あなたは、メシアです」と答える場面(マルコ福音書8,27-35)を取り上げられた。~わたしたちが神について学び、教義を知り、きちんと祈りを唱えたり、「あなたにとってイエスは誰か」という問いにカテキズムどおりに答えたりはできても、それで本当にイエスを知っていることになるのだろうか。主を知るためには、主について何か知識を得るだけでは足りない。主の後に従い、その福音に触れ、それによって変えられなければならない。それは、すなわち、自分の人生や、考え方、他者との関係、受け入れやゆるしに応じる力を変える、主との絆、出会いを持つことなのである。真にイエスを知ったならば、すべては変わるだろう。(抜粋)
教皇フランシスコは、東南アジア・オセアニア4カ国歴訪からの帰国便機内で、随行の記者たちと対話された。教皇は、9月2日から13日まで、第45回目の海外司牧訪問(イタリアを除く)として、インドネシア、パプアニューギニア、東ティモール、シンガポールを訪問。13日、帰国のためにシンガポールからローマに向かう特別機の機内で、記者団の質問に答えられた。対話の内容は、このたびのアジア・オセアニア訪問に関連したもの、世界各地の情勢をめぐるものなど多岐にわたった。(抜粋)
教皇フランシスコは、シンガポール訪問の最終行事として、諸宗教の若者たちとの出会いを持たれた。~教皇との集いには、カトリックはもとより、様々な宗教に属する若者たちが参加。ヒンズー教と、シーク教、カトリックの若者各1名が、皆を代表して、「自分のコンフォート・ゾーンから抜け出すには」、「批評を恐れないためには」、「諸宗教間の対話を推進するには」などの問いを教皇に投げかけた。~この中で教皇は、「若者は勇敢で、真理に向かうことを好む」「若者は歩む存在であり、創造的である」と話しつつ、気をつけるべきことは、言葉だけの「サロンの中の批評家」に陥らないこと、と述べられた。教皇は、「若者は批判的であるべきだ。しかし、批判において建設的であるべきだ。なぜなら、破壊的な批判や、何も新しい道を生まない批判もあるからだ」と語られた。また、教皇は「若い人は物事を築く勇気を持たねばならない。そして、快適な状況から抜け出さなくてはならない」と述べ、「冒険しなさい。外に出なさい。怖がってはなりません」と呼びかけられた。~教皇は、シンガポールの若者たちについて驚くことは、その諸宗教間対話の能力である、と語られた。もし「わたしの宗教は、あなたの宗教よりも重要だ」「わたしの宗教は本物で、あなたの宗教はそうではない」と言い出したら、それは何をもたらすだろうか、それは「破壊」であると、教皇は諸宗教間対話の大切さを強調。「すべての宗教は、神に到達するための歩みである」と説かれた。(抜粋)
東ティモールを訪問中の教皇フランシスコは、首都ディリの学校で障害児たちとお会いになった。~教皇は「助けを必要とする人たちと人生を分かち合うことは、すべてのキリスト者に託された計画です」とも語られた。~「子どもたちもまた、神から世話をしていただく、ということについて証ししています。子どもたちは、いかに神に委ねて世話をしていただくかを、わたしたちに教える先生です」と話しつつ、障害児に奉仕する人々に励ましと祝福をおくられた。(抜粋)
ファリサイ派の人々と律法学者たちが、イエスの弟子たちの中で汚れた手で食事をする者がいることを指摘する。そこで、イエスは本当の清さと汚れの意味について人々に説かれた。~本当の「清さ」とは、外見の慣習ではなく、何よりも内的な心構えと結びついていると言われる。それゆえ、貪欲や、ねたみ、傲慢などの悪い思い、あるいは詐欺、盗み、裏切り、悪口などの良くない意図を心に育てているならば(参照 マルコ7,21-22)、清くなるために、手を何度も洗っても仕方がない。~これはわたしたちにも大切なことである。たとえば、ミサが終わり、外に出る時に、教会の入り口でもう立ち止まり、あらゆる人、あらゆることについて、いつくしみに欠けた、悪意あるうわさ話を始めたり、あるいは、祈りにおいては信心深く見せながら、家に帰れば、自分の家族を冷たくあしらったり、助けと寄り添いを必要とする年老いた両親を放っておく(参照 マルコ7,10-13)ことはできない。さらには、一見すべての人に正しく接し、ボランティア活動をしたり、博愛主義的行動をとっても、心に他者への憎しみを抱き、貧しい人たちを軽蔑し、仕事において不正直ならば意味がない。~自問しよう。わたしは信仰を言動一致のうちに生きているだろうか。兄弟に対し、祈りの中で言っていることを、思い、言葉、行いをもって具体化しているだろうか。あまねく清き母、マリアよ、心からの実践的な愛を通して、わたしたちの生活を神に喜ばれる祭礼とすることができるようお助けください。(抜粋)