横浜教区典礼委員会は例年の通り、信者(信徒、修道者、司祭)を対象とした典礼研修会を開催致します。
日 時 2025年1月19日(日) 16:00~
場 所 日本聖公会横浜教区平塚聖マリヤ教会(平塚市八重咲町23-7)
司式:主教 イグナシオ 入江 修(日本聖公会横浜教区)
司教 ラファエロ梅村昌弘(カトリック横浜教区)
説教:司祭 韓(ハン) 晸守(ジョンス) 神父(カトリック茅ヶ崎教会 主任司祭)
横浜教区典礼委員会は例年のとおり、信者(信徒、修道者、司祭)を対象とした典礼研修会を開催いたします。
日 時 2025年2月11日(火・祝) 10:00~15:30(受付9:30~)
場 所 カトリック藤沢教会(藤沢市鵠沼石上1-1-17)
テーマ「わたしはせつに願っていた-教皇フランシスコからの典礼的養成の呼びかけを受けて-」
講 師 宮越俊光氏(カトリック中央協議会・日本カトリック典礼委員会委員)
参加費 1人 500円(昼食は各自持参)
申込期限 2025年2月2日(日) ※各小教区、修道院を通してお申し込みください
※藤沢教会には補聴のためのアシストホーンが設置されています。ただしレシーバーに限りがありますのでご利用希望者は、各教会よりレシーバーをご持参ください。
※後日、講話を録画して配信します(字幕付き)。詳細は、後日お知らせします。
教皇フランシスコは、2024年5月9日、2025年の聖年を布告する大勅書「希望は欺かない」を発表しました。大勅書には2024年12月29日の聖家族の祝日に日本も含めたすべての司教座聖堂において、聖年の荘厳な開幕としてのミサを捧げました。また、聖年の横浜教区における巡礼指定教会についても、教区長より決定がなされましたので、併せてお知らせします。
【巡礼指定教会】山手司教座聖堂(カトリック山手教会)
※巡礼によって得られる免償についての規定は、以下、カトリック中央協議会公式ウェブサイトをご参照ください。
※教皇フランシスコにより発表 された 2025 年の通常聖年の間に与えられる免償に関する教令
※教皇フランシスコ、「2025年通常聖年公布の大勅書希望は欺かない」
YCK横浜教区カテキスタ会より、お知らせをいただきました。
2024年11月16日(土)に開催された公開講座の様子が、YouTubeで公開されました。
以下のURLからご覧いただけます。
「2025年 聖年に向けて〜希望の巡礼者として生きる〜」ホアン・アイダル神父
※動画視聴はこちら
2024年9月7日(土)に行われた、日本カトリック司教団文書『見よ、それはきわめてよかった―総合的なエコロジーへの招き』出版記念シンポジウムの動画が、カトリック東京大司教区のYouTubeチャンネルで公開されましたのでお知らせいたします。
※動画視聴はこちら
「若い人が教会に居ない」って本当?小さかったあの頃、親と一緒に行った日曜日の教会。あの頃の友達は最近どうしてるのかなぁ?大人になって初めて出会った信仰。
教会でなかなか同世代の人に会えなくて…よく聞きます!でも…実は教会にはたくさんの青年が居るんです!自分の教会、地域、全国で信仰を中心に青年たちは出会い、どんどんつながりを深めています。そしていつも新しいつながりを歓迎しています。
カトリック中央協議会より、2025年聖年「青年の祝祭」公式巡礼団への参加募集のお知らせがありました。
詳細は、以下からカトリック中央協議会のページにアクセスできますので、ご確認ください。
※カトリック中央協議会:詳細はこちら
※2025年聖年「青年の祝祭」公式巡礼団チラシ
全国のカトリックの青年を対象とした交流と情報交換の場であるネットワークミーティング(NWM)が、来年2月に横浜で開催されます。
テーマ:「GOTEMBA de OTEMBA」
日 時:2025年2月22日(土)13:00集合~ 23日(日)15:30解散予定
会 場:国際青少年センター YMCA東山荘
〒412-0024 静岡県御殿場市東山1052
対 象:18歳以上の青年(高校生不可)
参加費:学生6,000円 社会人8,000円
主 催:第48回NWMin横浜 実行委員会
後 援:カトリック青年連絡協議会
カトリック横浜教区青少年委員会
問い合わせ先:nwm48yokohama@gmail.com
申 込 :〆12月31日で締め切りになりました
最新情報 :NWMin横浜のHP
※第48回NWMin横浜 ポスター
カトリック青年連絡協議会(横浜教区)
カトリック青年連絡協議会 (@pr_catholicyouth)
カトリック青年連絡協議会広報委員会
「共同宣教司牧サポートチーム神奈川 2024年度版研修一覧表」を聖堂入り口に掲示してあります。申込書は、司祭館事務室にあります。各講座ごとに申し込みの期日がございますので、御確認をお願いいたします。
※サポートチームの研修会・講座に関して、教区事務局への直接のお問い合わせはご遠慮ください
共同宣教司牧サポートチーム神奈川ウェブサイト
信徒・修道者・司祭による共同宣教司牧 交流会・養成研修会 2024年度研修 一覧
リンク:バチカンニュース
リンク:Vatican News(Youtube)LIVE
2025年1月は、「教育を受ける権利」のために、次のように祈る。「より良い世界を築くために必要不可欠な教育を受ける権利が、移民、難民や戦争の影響を受けた人々に対しても、常に尊重されますように」。~教育は皆のための希望です。移民・難民を、差別や、犯罪組織、搾取から救うことができます。そして、彼らを受け入れようとする共同体への統合を助けることができます。~教育はより良い未来への扉を開きます。これによって、移民・難民は彼らの新しい国でも、また帰国を決意する場合、彼らの祖国でも、社会に貢献することができるのです。そして、外国人を受け入れる人は、イエス・キリストを受け入れるということを決して忘れてはなりません。(抜粋)
今日記念する「主の洗礼」の祝日は、わたしたちが受けた洗礼をはじめ、多くのことを考えさせる。イエスは、罪のゆるしのために洗礼を受けに行くご自分の民と一緒になられる。~今日の祝日は、イエスの人性を通して表される神の御顔と御声を観想させる。では、自問しよう。自分は愛されていると感じているか。自分は神から愛され、見守られていると感じているだろうか。それとも、神は遠い存在だろうか。神の御顔をイエスの中に、兄弟姉妹の中に認めることができるだろうか。神の御声に耳を傾けているだろうか。わたしたちは自分の洗礼日を思い出せるだろうか。それは重要なことである。思い出せない時は、両親や代父母に聞こう。そして、その日を新たな誕生の日、神の霊において生まれた日として祝おう。おとめマリアにより頼み、助けを祈ろう。そして、洗礼の日を思い出そう。(抜粋)
「主の洗礼」を祝った1月12日(日)、教皇フランシスコはミサの中で乳児の洗礼式をとり行われた。毎年バチカンのシスティーナ礼拝堂で行われるこの恒例の儀式で、今年はバチカン職員の子ら21人が洗礼を授かった。~「今日、両親の皆さんはもとより、わたしたち皆と教会は、最も大きな恵みを与えられました。それは子どもたちの信仰という恵みです」と教皇は話し、関係者らと喜びを分かち合った。また、教皇は洗礼の儀式に入る前に、両親と代父母に説教に代わる短い言葉を向けられ、「皆さんのお子さんたちの洗礼式を続けましょう。子どもたちが信仰と、家庭の喜びのうちに、真の人間として成長できるように主に願いましょう」と述べられた。(抜粋)
現在、バチカンと完全な外交関係を結ぶ国は184カ国。これらに、欧州連合とマルタ騎士団が加わる。~世界が数多くの紛争や恥ずべきテロ行為の中で新年を迎えたことを遺憾としつつも、この聖年を背景に「希望の外交」を提示しながら、対話による平和構築を訴えられた。~世界戦争の脅威がより具体化するのを前に、外交の召命は、「不都合な」相手や、正当な交渉相手と認められていない人をも含む、すべての人との対話を促進することであり、これが憎しみや復讐の連鎖を断ち切る唯一の道である、と教皇は述べた。~「キリスト教的観点から、聖年とは恵みの時である」と述べた教皇は、2025年が真理、赦し、自由、正義、平和に満ちた、恵みの年となることを切に祈られた。(抜粋)
「主の公現」とは、ベツレヘムの幼子イエスへの東方三博士の訪問や、ヨルダン川におけるイエスの洗礼、カナの婚礼でのイエスの最初の奇跡など、キリストが公に人々の前に姿を現され、キリストを通し神の栄光がすべての人に現れたことをいう。~教皇は、ベツレヘムへと博士たちを導いた星の光のように、わたしたちも出会う人々に自らの愛をもって、人となられた神の御子イエスを通し啓示される神の御顔と、寄り添いと憐れみ、優しさからなるその愛を伝えよう、と招かれた。~神は寄り添いと導きを誠実な心で求めるすべての人にご自身を啓示される、と話された。教皇は、東方の三博士たちが見た星の光は、わたしたちの歩みを照らし、わたしたちを内的な旅へと導く、と強調。この聖年にあたり、愛以外のすべてから心を解放し、キリストとの全き出会いのうちに、わたしたちの信仰を宣言しながら、あふれる神のいつくしみを受け取ろう、と信者たちを励まされた。(抜粋)
多くの挑戦を前に、神はとどまることはない。神は、損得計算なく、無条件に、すべての人、わたしたち一人ひとりに到達するために、あらゆる方法を見つけられる。神は、人類の最も暗い夜でさえも、光の窓を開けられ、その光を闇が覆うことはない(参照 イザヤ9,1-6)。これは特に、光と、希望、平和を大いに必要とし、人類が複雑な状況を作り出し、そこから抜け出せないように思われる今日、わたしたちをなぐさめ、力づける現実である。~いのちに「はい」と答え、いのちをもたらすことを選びながら、希望のメッセンジャーとなるようにとわたしたちを促している。皆でこれを実行しよう。これが救いへの道である。さあ、年の初めに自問しよう。自分が置かれた環境や人間関係の中で、どのような方法で、光の窓を開けることができるだろうか。どんな場所で、神の愛を伝える光となれるだろうか。イエスに導く星であるマリアよ、すべての人のために、御父の愛の輝く証しとなれるよう、どうかわたしたちをお助けください。(抜粋)
ローマの城壁外の聖パウロ大聖堂で、聖年の扉が開かれた。これによりローマの4つの教皇直属バシリカのすべての「聖なる門」が開いた。~ローマのアウレリアヌス城壁からおよそ2km外側、オスティア街道沿いにある、城壁外の聖パウロ大聖堂は、使徒聖パウロが殉教後埋葬された場所に、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が教会を建て、324年に献堂したものを起源とする。~説教でハーヴェイ枢機卿は、二千年にわたり主イエスの復活を告げながらこの世の道々を歩んできた教会共同体の一員として自らを感じ、先人たちの信仰をたどりつつ霊的な旅を開始して欲しいと、信者らに呼びかけた。(抜粋)
「神の母聖マリア」の祭日、1月1日、ローマの教皇直属の4大聖堂の一つ、聖マリア大聖堂(サンタ・マリア・マッジョーレ)で、聖年の訪れに伴い「聖なる扉」が開かれた。~この聖年が主に向かうわたしたちの歩みを励まし、その歩みの中で、わたしたちが家族や、貧しい人々、病者、真理と喜びと平和の道を見失った人たちへの真の配慮を忘れることがないようにと願った。すべての人は喜びあふれるこの希望の道を歩むように招かれ、マリアは母として、例外なくそのすべての人に寄り添い、皆の世話をしてくださると、マクリクカス枢機卿は信者たちを励ました。(抜粋)
カトリック教会の暦は、一年の最初の日を神の母聖マリアに捧げると共に、「世界平和の日」を記念する。今年で第58回目となる「世界平和の日」のテーマは、「わたしたちの負い目をゆるしてください、あなたの平和をお与えください」。~この「世界平和の日」にあたり、教皇は、マリアのようにいのちの尊い賜物を大切にし、胎児や子ども、お年寄り、苦しむ人や貧しい人をはじめ、すべてのいのちを世話し、守ることを学ぶように招いた。そして、すべてのいのちに尊厳を取り戻させ、すべてのいのちを愛することが、平和の文明を築き、希望の未来を見つめるための基礎となる、と呼びかけられた。(抜粋)
典礼暦で「聖家族」を祝った。~福音書は、12歳のイエスが毎年恒例のエルサレム巡礼の終わりに、マリアとヨセフのもとから行方がわからなくなり、神殿で学者たちと議論しているところを発見された時のことを語っている(参照 ルカ2,41-52)。~「なぜこんなことをしてくれたのです。御覧なさい。お父さんもわたしも心配して捜していたのです」(ルカ2,48)。イエスはマリアに答えられた。「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか」(同2,49)。~まるで今日の家族の危機、気難しいティーンエイジャーと、彼を理解できない両親のストーリーを見るかのようである。~イエスの両親でさえ、いつでもイエスを理解できたわけではなかったことをわたしたちは見てきた。わたしたちはこれを心に留め、家族の間で理解できないことがあっても驚かないようにしよう。そういう時は、自問してみよう。わたしたちは耳を傾け合っているだろうか。互いに耳を傾けながら、問題に立ち向かっているだろうか。それとも、無言や、怒り、プライドの中に閉じこもっているだろうか。わたしたちは対話に少しでも時間を割いているだろうか。今日、わたしたちが聖家族から学べることは、相互の傾聴である。おとめマリアにより頼み、わたしたちの家族に傾聴の賜物を祈り求めよう。(抜粋)
メッセージの中で教皇は、今回依頼されたテーマについて、希望は福音の中心に触れるものであり、思いやりはわたしたちがとるべき態度の方向性を示すものと述べ、希望と思いやりに満ちあふれた世界はより美しく、未来を信頼をもって見つめ、尊重と共感をもって人に接する社会はより人間的である、と話された。教皇は、先日12月24日より幕開けした聖年は、希望の巡礼者となるようにわたしたちに呼びかけている、と紹介。~「わたしたちは愛を選び取りましょう。愛はわたしたちの心を燃え立たせ、信頼を与えてくれます」と教皇は述べ、愛する者は、たとえ不安定な状態にいても、希望に満ちた、思いやりのある眼差しで常に世界を観想することができる、と説かれた。思いやりは外交的な戦略でも、社会の調和を保証するため、あるいは何か有利なことを引き出すための身の振り方でもなく、より謙遜になるために、心を開いて受け入れ、皆を助ける、愛の一つの形であると話された。謙遜さは対話を促し、無理解を克服させ、感謝を生むものと、教皇はその重要性を強調。~教皇は、愛と信仰と共に対神徳をなす希望をもって、この聖年の間、わたしたちが人々との関係を築くための愛の形として思いやりを実践できるようにと祈られた。(抜粋)
2024年度降誕祭の夜半のミサで、教皇フランシスコはバチカンの大聖堂の「聖なる扉」を開かれた。これにより「希望の巡礼者」をテーマとする2025年の聖年が始まった。~2025年の聖年は、2026年1月6日(火)、主の公現の祭日、同大聖堂の「聖なる扉」が閉じられるまで続く。~聖ペトロ大聖堂のアトリウムでとり行われた「聖なる扉」の開門の儀式は、「すべての人を唯一の救いの『扉』である主イエスとの出会いに象徴的に招くもの」。~教皇は「光の中の光、消えることのない希望である主の降誕において、信仰をもって聖なる門をくぐる準備をしよう」、「この聖なる大聖堂の敷居を越え、いつくしみとゆるしの時に入ろう。すべての人に、あざむくことのない希望の道が開くように」と呼びかけられた。そして、教皇は「明けの明星、人となられた無限の愛、常に祈り待つ救い、世の唯一の希望、あなたの輝きでわたしたちの心を照らしてください」と祈った。(抜粋)
教皇は「聖霊と花嫁。聖霊は神の民をわたしたちの希望イエスとの出会いへと導く」を主題とするカテケーシスで、「聖霊を通して福音を告知する。聖霊と福音宣教」をテーマに講話された。~聖霊の塗油と共に告げ知らせる、それは考えや教えと一緒に、いのちと深い確信を伝えることを意味する。しかし、実際には、わたしたちによるものが2つある。一つは祈りである。聖霊は祈る人の上に来られる。なぜなら天の御父は、「求める者に聖霊を与えてくださる」(ルカ11,13)からである。御子の福音を告げることを願う者にはなおさらである。祈ることなしに告げる者は、気をつけねばならない。さもなくば、使徒パウロが言う「騒がしいどら、やかましいシンバル」(参照 1コリント13,1)になりかねない。もう一つ、わたしたちによることは、自分自身を宣べ伝えるのではなく、主であるイエスを宣べ伝えることである(参照 2コリント4,5)。自分自身を宣べ伝えないということは、わたしたちが自分の名前で推進する司牧的な取り組みを優先させないということをも含む。もし頼まれた場合は、共同体的な取り組みとして快く協力する、あるいは従順にゆだねるべきだろう。このように福音を今日の人々に告知できるよう、聖霊が花嫁である教会に教えてくださいますように。(抜粋)