日本カトリック司教協議会は「日本カトリック平和旬間」を制定し、毎年8月6日より15日までの10日間を特別に平和のために捧げられた期間として、平和のための祈りとともに平和のためのさまざまな企画を行っています。横浜教区では今年の平和旬間行事を下記の通り雪ノ下教会と正義と平和協議会の協力のもと開催いたします。
テーマ:迫りくる気候危機~使徒的勧告『ラウダーテ・デウム』
講 師: 瀬本 正之(日本カトリック司教協議会「ラウダート・シ」デスク秘書、イエズス会司祭)
日 時:2024年8月10日(土)13:30-17:00
第1部 13:30~15:40 講演会
第2部 16:00~17:00 ミサ
場 所:カトリック雪ノ下教会 大聖堂
アクセスはこちら→雪ノ下教会HP
「若い人が教会に居ない」って本当?小さかったあの頃、親と一緒に行った日曜日の教会。あの頃の友達は最近どうしてるのかなぁ?大人になって初めて出会った信仰。
教会でなかなか同世代の人に会えなくて…よく聞きます!でも…実は教会にはたくさんの青年が居るんです!自分の教会、地域、全国で信仰を中心に青年たちは出会い、どんどんつながりを深めています。そしていつも新しいつながりを歓迎しています。
横浜教区青少年委員会は下記の通り高校生大会を合宿形式で開催します。
日 時:日時:2024年8月12日(月)~14日(水)
会 場:横浜雙葉学園中学校高等学校(横浜市中区山手町88)
対 象:高校生
参加費:8000円
主 催:横浜教区青少年委員会
担当司祭:鈴木真神父 (山手教会)、保久要神父 (雪ノ下教会) 、谷脇慎太郎神父(横浜司教館)
申 込:こちらからアクセスし申込フォームに必要事項をご記入ください。
締め切り:7月31日(土)厳守!
問い合わせ:教区青少年委員会
E-mail: youth3yokohama@hiratsukachurch
カトリック青年連絡協議会(横浜教区)
カトリック青年連絡協議会 (@pr_catholicyouth)
カトリック青年連絡協議会広報委員会
「共同宣教司牧サポートチーム神奈川 2024年度版研修一覧表」を聖堂入り口に掲示してあります。申込書は、司祭館事務室にあります。各講座ごとに申し込みの期日がございますので、御確認をお願いいたします。
※サポートチームの研修会・講座に関して、教区事務局への直接のお問い合わせはご遠慮ください
共同宣教司牧サポートチーム神奈川ウェブサイト
信徒・修道者・司祭による共同宣教司牧 交流会・養成研修会 2024年度研修 一覧 ![](https://hiratsuka.catholic.ne.jp/wp-content/uploads/2021/05/point10_1.gif)
リンク:バチカンニュース
リンク:Vatican News(Youtube)LIVE
教皇フランシスコは、2024年7月の祈りの意向をめぐり、ビデオメッセージをおくられた。~2024年7月は、「病者への司牧的ケア」のために、次のように祈る。「病者の塗油の秘跡が、それに授かる方とその方の愛する人たちに主の力を与え、誰の目にも共感と希望のしるしとして映し出されますように」~祈りましょう。病者の塗油の秘跡が、それに授かる方とその方の愛する人たちに主の力を与え、誰の目にも共感と希望のしるしとして映し出されますように。(抜粋)
子どもたちとの対話の中で、教皇は学びの場、成長の場としての家庭の大切さ、両親や祖父母との絆の重要性を強調。特に教皇は、祖父母たちに寄り添い、会話をすることを、子どもたちに願われた。 また、平和の価値に触れた教皇は、仲直りは人生で最も素晴らしいことの一つ、と話し、家で兄弟と喧嘩をしても、争いの精神を持って眠りにつくことなく、寝る前には必ず仲直りするようにと教えられた。さらに、来る2025年の聖年について、教皇は「聖年(ジュビリー)」が「喜び」と結びついたものであることを説明。聖年を喜びをもって準備してくださいと、子どもたちに呼びかけられた。(抜粋)
福音は一人では告げるものではなく、共同体として一緒に告げるものである。そうするためには、節制が大切である。それは、物の使用における簡素さ、財・能力・才能の分かち合い、贅沢をつつしむことなどである。なぜそうすべきか、それは自由であるためである。また、皆が尊厳ある生活をし、活発に宣教に貢献できるように、必要なものを持てるようにするためである。~もしそれぞれが自分勝手に振る舞い、物質的なことだけにこだわり、相手の話に耳を傾けず、自己中心主義と妬みが勝るならば、雰囲気は重苦しく、生活は難しくなり、出会いは喜びではなく、不安と悲しみと失望の機会に変わるだろう。~ここで自問しよう。わたしは、福音を伝え、主との出会いから来る喜びと光を生活の場にもたらす味わいを感じているだろうか。そうするために、開いた精神と寛大な心をもって、他の人々と考えや能力を分かち合いながら、彼らと共に歩む努力をしているだろうか。節度ある生活スタイルを育み、兄弟たちの必要に配慮しているだろうか。使徒の女王、マリアよ、わたしたちが交わりと節度ある生活を通して、真のイエスの弟子、宣教者となれるようお助けください。(抜粋)
広島で7月9日、10日の両日開かれた人工知能(AI)利用の倫理問題をめぐる世界各地の宗教指導者らの会合に、教皇フランシスコはメッセージをおくられた。~教皇は、世界を揺るがす今日の紛争間で、戦争への憎しみに加えて、このテクノロジーについて耳にすることが多くなっていることからも、参加者らが人工知能と平和について話し合うために広島に集っているという事実に、非常に象徴的な意味を見出された。そして、教皇は、武力紛争の悲劇において、いわゆる「自律型致死兵器」のような装置の開発と使用の再考が急務であり、その使用禁止のためには、より幅広く意味ある人的コントロールを取り入れる必要があること、そして、いかなる機械も人間の命を奪う選択は決してできないことを、皆が兄弟として一致して、世界に思い出させることが重要である、と記された。(抜粋)
宣教的かつシノドス的教会であるためには?これが、2023年に続き、今年10月2日から27日まで開催予定の、シノドス第16回通常総会・第二会期の『討議要綱』の出発点となる、基本的な問いである。7月9日(火)バチカン広報局より発表されたこの討議要綱は、「あらかじめ用意された答え」を提供するものではない。それは、教会全体として、「宣教におけるシノドス性」の要求にいかに答えるかをめぐっての「示唆と提案」、すなわち、より人々に寄り添い、官僚的でない、神の家・家族としての教会、すべての信者が共同の責任を負い、それぞれの任務と役割を通してその活動に参加することができる教会を提案している。(抜粋)
教皇は、イタリア、中央ヨーロッパ、バルカン諸国の交差路である、重要な港湾都市トリエステの性格に触れ、多様な人々の出会いを促すことがまさにこの都市の召命である、と述べられた。~わたしたちはキリスト者として人生に希望を与える福音を持ち、市民として民主主義の羅針盤である憲法を持っている、と述べた教皇は、恐れることなく自らを開き、人間的、キリスト教的価値を守り、人間の尊厳において妥協せず前進していくようにと、トリエステの人々を励まされた。教皇は、このトリエステから平和に向けてのわたしたちの努力と祈りと働きを新たにしよう、と呼びかけつつ、ウクライナ、パレスチナ、イスラエル、スーダン、ミャンマーをはじめとする戦争に苦しむ国の人々のために祈り、トリエステの人たちの崇敬を受ける「モンテ・グリサの聖母」の取り次ぎを願われた。(抜粋)
教皇はこの日の福音朗読箇所(マタイ16,13-19)中の、イエスがペトロに行った「わたしはあなたに天の国の鍵を授ける」という言葉を観想された。~ペトロがイエスから天国の鍵を受け取ったのは、彼が完璧だったからではない。それは、彼が謙遜で正直な人であり、御父が彼に混じり気のない信仰を与えられたからである(参照 マタイ16,17)。~自問しよう。わたしは、神の恵みによって、天国に入る望みを育んでいるだろうか。そして、神の助けによって、自分は他者に対しても天国の受容的な管理人でいるだろうか。そうなるために、イエスと、わたしたちの中に住まわれる聖霊に「やすりをかけられ」、なめされ、形作られるように、自分を委ねているだろうか。わたしたちが互いに主イエスとの出会いの導き手、支え手となれるよう、使徒たちの女王、マリア、そして聖ペトロ、聖パウロの取り次ぎを祈ろう。(抜粋)
カトリック教会の典礼暦は、6月29日(土)、教会の基礎を据える役割を果たした二人の使徒、ローマの保護者である「聖ペトロと聖パウロ」を祝った。~教皇は、福音のために迫害され投獄されたペトロが天使によって牢から救い出されたエピソードや、パウロがダマスコ途上で光に照らされイエスの声を聞き回心したエピソードなどを示しながら、神の御業に手で触れた彼らは、実際の牢獄からも、また自分が閉じこもっていた内的な牢獄からも解放され、新たに開いた福音宣教の扉から、すべての人に福音の希望を伝えに行くことになった、と振り返った。来年2025年の聖年には、恵みの時として「聖なる扉」が開かれることに言及しつつ、教皇は、すべての人がイエスという生きた聖域の扉を越え、イエスの中で、希望と喜びをよみがえらせる神の愛を体験することができるようにと願われた。(抜粋)
教皇フランシスコは、6月26日(水)、バチカンで行われた一般謁見で、戦争に苦しむ国々のために祈られた。この席で教皇は、来たる6月29日(土)、ローマの保護者、使徒聖ペトロと聖パウロの祭日が祝われることに言及。キリストの弟子、宣教者として、福音の素晴らしさをいたる場所で証しした聖ペトロと聖パウロに倣うよう、信者らに願われた。教皇は、ウクライナ、パレスチナ、イスラエル、ミャンマーをはじめとする、戦争のために苦しむ国々をこの二聖人の取り次ぎに託し、一刻も早く平和を見出すことができるようにと祈られた。(抜粋)
教皇は「聖霊と花嫁。聖霊は神の民をわたしたちの希望イエスとの出会いへと導く」を主題とするカテケーシスとして、「聖書全体が神の霊の導きを受けている。神の御言葉から神の愛を知る」をテーマに講話された。~特別な感動もなく何度も読んでいた聖書のある箇所が、ある日、信仰と祈りの空気の中で読んでいるうちに、突然輝きを帯び、わたしたちに語りかけ、まさに自分が経験している問題に光を投げかけ、ある種の状況に置かれたわたしたちに神の御旨をはっきりと示すことがある。この変化をもたらしたものが、聖霊の照らしでなくて、何であろうか。聖書の言葉は、聖霊の働きのもとで、輝くものとなる。こうした時、『ヘブライ人への手紙』の次の言葉が実感される。「神の言葉は生きており、力を発揮し、どんな両刃の剣よりも鋭い」(参照 同4,12)。~聖書を導かれ、今、聖書から導かれる聖霊よ、わたしたちが生活の具体的な状況の中で、この神の愛を受け取ることができるようお助けください。(抜粋)
教皇フランシスコは、ローマ教区の叙階後11年以上・39年以下の司祭たちと対話された。~教皇は、ロレンツォ・ミラーニ神父(1923‐1967)を「イタリアの司祭の偉大な光」として示したほか、司祭が世俗に陥る危険、小教区に「ありとあらゆる」すべての人を受け入れる必要等について話された。苦しむ人々への司牧をめぐり、教皇は「寄り添い」「憐み」「優しさ」という神の3つの特徴に倣うよう勧められた。~司祭の「目に見えない活動は、目に見える活動よりも重要」である~司祭の仕事はこうした困難に置かれた人々に出会いに行くこと、と述べ、「預言的な教会か、聖職者至上主義的教会か、それを選ぶのはわたしたちである」と話された~教皇は、司祭らの日頃の奉仕に感謝を表され、共同体的な識別、すべての人への傾聴を大切にしながら、これからもそれぞれの任務に励むように願われた。(抜粋)