新教皇はなぜフランシスコと名乗られたか

平塚教会の守護聖人 聖パトリックについて

去る3月17日は聖パトリックの祝日でした。ご存知のように、聖パトリックは平塚教会の守護の聖人です。そこで、聖パトリックがどんな聖人だったかをまとめてみました。

聖パトリックは、西暦387年に、現在のイギリスで生まれたといわれています。387年といえば、日本では古墳時代の前期、聖徳太子が登場する200年も前のことです。パトリックの両親は、イギリスに住むローマ人で、古くからのキリスト教徒だったようです。

パトリックは14歳のときに海賊に捕らえられ、奴隷としてアイルランドに連れて行かれました。奴隷として羊を飼う仕事をさせられる日々が6年間続きましたが、その間にパトリックはアイルランドの言葉を学び、土地の人たちが崇拝するケルトの神についても知ることとなりました。

囚われの身であったパトリックは、ある日夢で「おまえの主人から逃げて、海岸に行きなさい」という神の声を聞きます。海岸までは遠く離れていましたが、彼はひたすら歩き続けて港町に着き、その後多くの困難にあいながらも、故郷に到着することができました。

故郷で平和な日々を送っていたパトリックは、また夢を見ます。夢の中ではアイルランドの人々が、「若者よ、もう一度私たちの国に来てください」と叫んでいました。彼は大変心を動かされましたが、アイルランドに行く前にまず司祭になろうと決心し、フランスの修道院で神学を学び、司祭に叙階されました。やがて当時の教皇が、パトリックの望みをかなえてアイルランドに宣教に出かける許可を与え、司教に任命しました。パトリックが40代半ばのことでした。

パトリックは、彼がかつて奴隷として過ごした地に上陸し、キリスト教の布教を開始しました。伝説では、パトリックのその後の布教活動について、様々なエピソードが伝えられています。パトリックがスレインの丘というところで復活祭のかがり火を焚いていたときの話です。当時、王が城壁で火を灯した後でなければ、誰も火を灯してはいけないことになっていたので、王は怒ってパトリックを殺すよう命じ、戦士たちを差し向けました。しかし、戦士たちは彼を殺すことも火を消すこともできず、逆にパトリックは王の臣下である僧侶たちの魔術を祈りによって打ち負かしました。それを見て王は、パトリックにこの地で布教することを許したと伝えられています。

このようにしてパトリックの布教は、少しずつ異教の地に根付いていきました。
アイルランドの首都ダブリンの北西にあるタラの丘では、パトリックがそこに生えていた三つ葉のクローバーのような植物であるシャムロックを使って、三位一体の神について説明したという話が伝えられています。アイルランドのシンボルマークがシャムロックなのは、この話に由来しています。

パトリックの深い信仰心に導かれて、一般民衆はもちろん王やその親族もキリスト教に改宗していきました。彼は禁欲的な生活を送りながらアイルランド中を旅して廻り、ある土地にしばらくとどまって、そこにキリスト教が定着するのを見届けると、また新しい土地に向かうという生活を繰り返していきました。パトリックが70歳になるころには、全アイルランドはカトリックの国になり、教会の組織も、司教と司祭によってしっかりと支えられるようになっていました。


パトリックの布教が、なぜこのように成功したのかということについては、いくつかの説があります。パトリックはアイルランドにもともと存在したケルトの宗教観を無理やり捨てさせるのではなく、キリスト教とケルトの宗教観を融和させる形で布教したからではないかという説があります。十字と円形を組み合わせ、その中にケルトの渦巻き模様や聖書物語が彫刻されている、アイリッシュ・クロスと呼ばれる十字架がアイルランドに残っているのも、その名残りだといわれています。

また、聖書物語とケルト神話が似ていたからという説もあります。ドラマチックな聖書物語が、ケルト神話に似ていたために、人々が惹きつけられたという説です。

さらに面白いのは、パトリックの優れた話術がアイルランド人を魅了したという説です。アイルランドでは現代でも話術に長けていることがモテる男の条件であり、優れた話術が国民性の一つだといわれています。

また、パトリックは多くの伝説を残した聖人としても有名です。中でもいちばん有名な伝説は、アイルランドに蛇がいないのはなぜかというものです。パトリックは蛇や有毒な動物を、太鼓を打ち鳴らして海へと追いやり、その後、有毒な動物はアイルランドの大地に触れるだけで死んでしまうようになったといわれています。

パトリックは西暦465年3月17日に、彼がアイルランドで最初に建てた教会で亡くなったと伝えられています。パトリックは臨終の際、信者や友人たちに向かって、「私のことは悲しまず、天国へ行く私のために祝ってほしい。そして、心の痛
みを和らげるよう、何かの雫を飲むように」と言い残したとう言い伝えがあります。アイルランド人のウイスキー好きは、この最後の言葉に従ったものだとも言われており、臨終の言葉までがユーモラスなエピソードに彩られています。聖パトリックがアイルランドの人々に、いかに愛されているかがわかるエピソードだと思います。

聖パトリックはアイルランドの守護の聖人で、祝日は命日である3月17日です。この日は、本国アイルランドをはじめ、アイルランド系の移民が多く住むニューヨークなどで大きなパレードが行われます。最近は東京や横浜でもパレードがあります。パレードのときには、パレードに参加する人も見る人も、何か緑色のものをつけるのが慣わしだそうです。

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