ご復活のろうそく
平塚教会主任司祭 トーマス・テハン
私にとって典礼歴で最も印象的なのは、聖土曜日の徹夜ミサの中で祝別された火から復活のろうそくに火を移す瞬間です。マッチという近代的な道具を使うことができる以前は、火打石で火をつけたものです。火打石を打つことでおこる火花は、星の誕生を想起させます。なぜなら、何もないところから新しい生命が現れるからです。
暗闇から新しい灯りが誕生します。初期の教会では、このことが十字架上で亡くなったキリストの復活の象徴とされました。弟子たちへの聖霊降臨が、「天から炎のような舌が一人ひとりの上に降った」と報告されているのを、私は面白いと感じます。キリストの復活は、新たに天と地をもたらした「新しい創造」ともいわれています。その考えは「天と地が第2日目に造られた」という最初の天地創造の話に起源があります。第2日目は、神が御自分の造られたものを「よし」と宣言された他の6日間とは違って、天と地を造った後に「よし」とは宣言しませんでした。その「よし」という宣言がなかったことが、イエスの人生にとっては大きな意味を持っていたのです。
イエスが洗礼を受けた時、天が開き、「これはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が天から聞こえたと聖書にあります。イエスは、天と地の和解という使命を始められたのです。この使命は、分裂よりも一致をもたらしました。イエスが弟子たちに「主の祈り」を教えられたということを思い起こす時、私たちはこのことをさらによく理解することができます。私たちは「みこころが天に行われるとおり、地にも行われますように」と祈ります。キリストは、悪と死に打ち勝つことによって、新しい創造をもたらしました。象徴的にではありますが、祝別された火から復活のろうそくに火をともすことによって、私たちはこの新しい創造に参加するのです。分裂、不一致などは、神に背いた人類によってもたらされたものです。人類は、この新しい創造によって、一致と調和という希望を与えられているのです。この新しい創造は、神による統治、つまり「神の国」をもたらすものです。