“シムバングゴビ”はクリスマスの深夜ミサのことで、12月16日から24日深夜まで9日間続きます。深夜ミサといっても、16日から23日までのクリスマス・ミサは早朝4時に始まります。その間は、毎朝ミサの始まる4時を知らせて教会の鐘が鳴り響き、人々は聖餐式に与るために、明け方から教会に集まります。イヴの24日の深夜ミサは早朝ではなく、深夜の12時に始まります。もちろん、鐘は深夜ミサの時間に合わせて鳴り渡ります。

クリスマス・イヴはフィリピンで最も伝統的な家族の祝いです。この夜、人々はほとんど眠らずに、ミサが終わると“ノチェブエナ”の準備をします。これはオープンハウスのようなもので、家族、友人、親戚、隣人が互いに訪ね合ってクリスマスの挨拶を交わします。遠くに離れている家族も帰省して再会を喜び合うのです。フィリピンのクリスマスは西洋文化とフィリピンの伝統習慣の混ざりあった大切なお祭りで、キリストのご降誕をみんなで祝って、1年間頂いたお恵みを感謝し、お互いに愛し合い、赦し合う、そして改悛のときでもあるのです。


テハン神父様のクリスマスの思い出

子どもの頃、父は金物店でクリスマス用のオモチャを商っていました。12月は毎週木曜の午後1時に店を閉め、ダブリンまで玩具を仕入れに行き、ナヴァンの家に戻ってから品物を揃えていました。家に戻ると父は玩具を車から降ろすのに家中の者を呼び寄せていたものです。翌日、父は1日中オモチャの値札付けや、玩具の配置替えに追われていました。
月が12月にかわると、店のショーウィンドーはその両側に玩具を置いて、真ん中に大きな囲いを作って、その中にヒヨコ達を放し飼いにしていました。そのヒヨコ達が日ごとに育つ姿を、子どもたちだけでなく街ゆく大人達も足を止めて見ていたものです。クリスマス・イヴの日は店員だけでなく、両親、姉妹に3兄弟全員で、ごった返す店で働いたものでした。これは子ども心にも大変エキサイティングで、またとても忙しかったことを覚えています。

その後、私達はサンタが来るのを不安な気持ちで待ちながら眠りにつき、次の朝サンタが置いてくれたプレゼントを開いた時の大きな喜びはいまだに忘れられません。この日の朝はどこの家もクリスマス・ミサに出かけ、帰宅してからのディナーは前々から用意された特別なものでしたから、昼前にクリスマス・ケーキとお茶が出されていました。ディナーは午後の3時半でした。ナイフやフォークがセットされた食堂の大きなダイニングテーブルの上には、銀製のローソク立てが置かれ、部屋中がクリスマスのデコレーションと柊で飾られていました。キャンドルライトが、こうしたクリスマスの雰囲気をより盛り上げていました。七面鳥のディナーに続いて、プラム・プディングとブランデーバターが出されます。このプラム・プディングやクリスマス・ケーキは、10月に沢山のフルーツとお酒を使って作られたものです。クリスマスの日、ウィスキーがプラム・プディングに注がれマッチで火を灯す時、それは暖かさと心地よさにあふれた特別な瞬間でした。
食器類を洗い、片付けてから、家族全員で静まりかえる通りを教区の教会までクリスマスの飼葉桶を観にゆきます。大勢の人たちがその飼葉桶の所でキャンドルを灯し、祈りを捧げていました。家に戻ってからはベッドに入るまでのひと時、家族でトランプに興じていた….こうした事柄ひとつひとつが、当時の私のクリスマス行事でした。