2.7 高山右近列福式
2月7日(火)午前11時、JR大阪城公園駅を出て少し歩くと、目の前に巨大なお皿を伏せたような大阪城ホールの屋根が見えてきました。高山右近列福式ミサの会場です。熱心な参加者は、もう大半が会場内に入っているのでしょう。人の流れはまばらでした。
会場に入ると、座席はあらかた埋まっていました。決められたブロックにたどり着くと、平塚教会の人たちが席を取っておいてくれていました。着席すると間もなく、天井からつるされた大型スクリーンに、映像が映し出されました。「ユスト高山右近 列聖へ向けて 揺るぎない信仰に根ざした生涯」というタイトルの20分ほどの動画でした。
1552年、戦国武将の息子として生まれた高山右近は、10歳の時、父とともに洗礼を受けました。キリシタン大名となった右近は、豊臣秀吉の伴天連追放令によって領国を失い、加賀金沢の前田利家預かりの身となります。その金沢で26年にわたり、教会と社会に奉仕する日々を送りますが、徳川家康の禁教令によってフィリピンのマニラに追放され、マニラ到着後まもなく死去します。享年63歳でした。
右近は戦国時代という難しい時代のなかで、いかなる困難にあっても神の愛に応え、信念を持って生き抜きました。これこそがキリストの愛の証であり、現代の殉教なのだと映像は伝えていました。
会場は約1万人の参列者で埋めつくされました。正面に、巨大な祭壇がしつらえられ、その後ろのスタンド席上段には、約千人の聖歌隊が陣取っていました。聖歌隊の構成メンバーは、近畿地区のカトリック学校の学生や生徒と、公募によって集まった各小教区の聖歌隊員だそうです。下段の席が空いているなと思っていると、ミサの始まる直前に、深紅のおそろいのカズラを身に着けた約300人の神父様方が一気に入場してこられました。この司祭団によって、祭壇の上は赤一色に染め上げられました。