カトリック平塚教会報 第106号 2016年 7月 30日発行
平塚教会主任司祭 トーマス・テハン
聖母の被昇天の祝日を迎えるにあたり、聖母マリアが、恵み豊かな神の御子の母になるという神の思し召しにどう応えたかについて、少しの間ふりかえってみましょう。神はマリアに、被昇天のお恵みを授けることによって応えました。つまり神は、絶えず創造物に恵みを与え続けておられるのです。そして神は、私たちがそれを受け入れ、愛情を込めてそれに応えることによって、このプロセスを持続させることを願っておられます。福音書に書かれている神のお告げの場面は、聖霊に満たされ、神のお告げを受け入れるマリアのことから語り始められます。マリアの応えは直接的でためらいのないものでした。「お言葉どおり、この身に成りますように」
私たちにとって、ここには大きな課題があります。物事がうまくいかなくなったとき、私たちは問い、疑い、言い訳をしがちです。私たちはマリアほど、信用しやすくないのでしょう。だから私たちは、普段の生活の中で、しばしば聖霊のはたらきかけに気づかないのです。さらに難しいことには、私たちは自分の利益に価値をおいてしまいがちです。私たちの関心の中心は、たいてい自分自身に向いていて、常に神様のほうを向いていたマリアとは異なるのです。
マリアは良い知らせを受けたので、同じように良い知らせを受けた親類のエリサベトと、そのことを分かち合いたかったのです。ふたりは良い知らせを喜び合うだけでなく、共にいる時間を楽しみました。しかしながら、マリアはイエスを産むために旅をし、困難に耐えなければなりませんでした。さらに悪いことに、迫害を避けるために、エジプトへ逃れる必要がありました。
預言者シメオンは、マリアの子イエスに苦難があるので、マリアの生涯にもまた苦難があると予言しました。イエスが私たちの身がわりとなって息をひきとった十字架の下で、マリアが無力に立ちすくんでいたときに、その苦難は訪れました。聖霊降臨のときには、マリアは弟子たちと共にいました。マリアは、死を経験せずに天国に迎えられ、そこでは天の后として迎えられています。