平塚教会にラテンアメリカ(南米)・コミュニティができるまでのお話を、マリア・モリシゲさんとグラシエラさんからうかがいました。なお、この原稿ではコミュニティの方達の呼び方にならって、コミュニティの名前を「ラテンアメリカ・コミュニティ」と表記します。
ブランチ神父様は「はい」、山野内神父様は「できるできる」と言った
マリア 私が最初に日本に来たのは、1991年です。夫と、3人の姉と、姉の夫の6人で来ました。私は、半年後にペルーに帰り、夫も1年3カ月後に帰国しました。その後1997年に夫と2人で再来日して、平塚に住み始めました。以来、ずっと平塚に住んでいます。再来日したとき、ずっと日本に住んでいた姉から、藤沢にカトリック教会があって、月に1回、スペイン語のミサがあると教わりました。
藤沢教会に行ってみると、ミサには厚木や秦野や遠く埼玉からも、たくさんのラテンアメリカの人たちが集まっていました。ミサへの参加者は毎回、100人を超えていました。ミサは、いまでは埼玉教区の司教様になっているマリオ山野内神父様が司式していました。午後1時からのミサが終わると、みんなでペルー人がやっている「Oasis」というレストランに食事に行きました。それから子どもたちは近くにある「子どもの家」へ、大人たちは当時めずらしかった100円ショップへ行きました。大勢のラテンアメリカの人たちが100円ショップに押しかけるので、店内はそれはそれは賑やかでした。
そのころ、姉の娘の夫であるエドワルドは、平塚にある会社に務めていました。エドワルドは、そこに勤めるカトリックの日本人女性から、平塚駅の南口に教会があって、そこにSr.コンチータというスペイン語を話すシスターがいるという話を聞きつけました。そこでエドワルドと私は、平塚教会にSr.コンチータを訪ね、シスターと一緒に主任司祭のブランチフィールド神父様に会って、平塚教会でスペイン語のミサをやってもらえないかと相談しました。神父様の答えは「はい」でしたが、スペイン語のできる神父様がいないとのことでした。そこで、藤沢教会のスペイン語のミサの時にマリオ山野内神父様に相談すると、「あーできる、できる」と引き受けてくれました。
1999年11月、平塚教会での最初のスペイン語のミサには、12人のラテンアメリカの信徒が集まりました。国籍は、ペルー、ボリビア、コロンビア、メキシコとさまざまでした。12人のメンバーは、ミサの参加者をもっと増やそうと、まわりの人に声をかけました。翌月、ミサと合わせてクリスマス・パーティーを開くと、50人以上が参加しました。
ミサの後にみんなで話し合っている時に、マリオ山野内神父様が、ラテンアメリカの人たちはみんな兄弟姉妹なのだから、コミュニティを作るべきだと提案しました。柱となる人を決めて、委員長がペルー人だとしたら副委員長がボリビア人というふうに役割を分担し、翌年は委員長がボリビア人、副委員長がペルー人というふうに交代しながらやっていくといいと言いました。こうして、平塚にラテンアメリカのコミュニティが誕生し、初代委員長にはエドワルドが就きました。
グラシエラ 私が初めて日本に来たのは、1998年です。先に兄が日本に来ていて、埼玉県の西川口に住みました。私はそのあと、ボリビアにもどって結婚し、2000年に再来日して平塚に住むようになりました。マリア・モリシゲとは、友達がやっているレストランで2005年ごろに初めて会いました。その時、平塚駅の南口に教会があって、スペイン語のミサをやっているよと知らされました。
平塚のラテンアメリカのコミュニティは、私が参加したころはみんな報酬が良くて、パーティーをするといえばすぐにお金を出してくれたり、無償で食べものを持ってきてくれたりと、とてもうまくいっていました。ところが2008年のリーマンショックのあと、仕事がだんだん減ってきて苦しくなりました。母国へ帰ったり、平塚に仕事がなくなったので埼玉や愛知に移動したりする人もいました。ビンゴ大会の景品をお願いしても、2008年以前は簡単に集まったのに、2008年以降は電話でお願いして回らなければならなくなりました。今はもっと悪くなっているようです。
マリア 平塚教会の教会委員会に、ラテンアメリカ・コミュニティの代表が出席するようになったのは、2006年からだと思います。ブランチフィールド神父様が、日本人とかフィリピン人とかラテンアメリカの人々というように、バラバラになっているのはよくないと言って、一緒に教会委員会に入ってほしいと言われました。最初は、日本の各部会の報告が終わるまで外で待っていて、そのあとフィリピン・コミュニティとラテンアメリカ・コミュニティが呼ばれたりしていましたが、次第に最初から最後まで参加するようになりました。
私が藤沢教会のスペイン語のミサに行って、「平塚の日本人の委員会に参加しています」と言ったら、みんなびっくりして「ほんとに?」と言っていました。藤沢も厚木も秦野も、ラテンアメリカの代表が教会委員会に出るようになったのは、平塚よりずっと後のことでした。教会の中に、ラテンアメリカのコミュニティができたのも、近隣では平塚教会が最初だと思います。藤沢では早くからスペイン語のミサをやっていましたが、みんな遠くから集まってきていたので、コミュニティを作るのが難しかったのでしょう。平塚には当時はたくさんのラテンアメリカの人たちが住んでいたので、マリオ山野内神父様がコミュニティを作ることを提案してくれたのだと思います。
グラシエラ ラテンアメリカの人たちにとっては、スペイン語のミサに集まれることに大きな意味があります。スペイン語のミサが行われているところには、どんどん人が集まってくるし、それができなくなると集まる人の数は減っていきます。私たちがいちばん望んでいるのは、スペイン語でミサをあげていただくことなのです。
お2人から、南米コミュニティのみなさんへのメッセージ
Un fraternal saludo a la Comunidad Católica Latina de Hiratsuka ; a Dios le pido en esta Navidad que te proteja , te bendiga , te llene de Misericordia y te mande muchas cosas buenas porque una Comunidad cómo esta merece todo lo mejor.
FELIZ NAVIDAD !!! María Morishige
Gracias a todos por colaborar y estar presentes en nuestra misa y eventos, sigamos sembrando más FE en todos nosotros para que nuestra comunidad siga creciendo, dando un poco de nuestro tiempo para escuchar la palabra de Dios y compartir en Hermandad y así recibir las bendiciones de Dios Graciela(Chely)
●第6地区 交わりの集い&ミサ
9月3日(日)、第6地区の「交わりの集い」とミサが、平塚教会で行われました。横浜教区第6地区の8教会の信徒の皆さんが平塚に集い、楽しいひと時を過ごしました。
●チャリティーバザー
10月22日(日)のミサ後、チャリティーバザーが行われました。日本、フィリピン、南米のコミュニティの交わりが一層深まった、実りあるイベントとなりました。
●墓地ミサ
11月11日(土)、カトリック茅ヶ崎共同墓地で、平塚教会と大磯教会で先に亡くなられた方々の追悼ミサが行われました。当日は、75人の方が参加されました。