2度目のチャンス

特集 ライフスタイルの転換に向けて、ともなる歩みを

 教皇フランシスコは、就任2年後の2015年に、『回勅ラウダード・シ』を発表されました。この回勅では、環境問題を中心に、それと密接に結びつく貧困、経済、政治、文化、日常生活などの諸問題を、広い視野から考察しています。この『回勅ラウダード・シ』を共訳した上智大学の吉川まみ教授が、今年9月に『ライフスタイルの転換に向けて、ともなる歩みを』(女子パウロ会)という本を書かれました。この特集では、教会報編集部有志による、この本の誌上読書会の模様をお届けします。

きっかけは去年のクリスマス・キャロル

 

Y 平塚教会の去年のクリスマス・キャロルで、『回勅ラウダード・シ』の言葉が朗読されていましたね。一昨年のキャロルでも、教皇様の『回勅 兄弟の皆さん』が取り上げられていたと思います。クリスマスにあたって、私たちが共に暮らす家である地球の環境に想いをはせましょうというメッセージだと思いますが、この度『回勅ラウダード・シ』をわかりやすく読み解いた本が出ましたので、みんなで読んで分かち合いたいと思います。
S 去年、キャロルで朗読させていただいた一人は、私でした。朗読させていただいて以来、少し遠のいていたのですが、この本をきっかけにもう一度読ませていただきました。それから、この本に出てくる環境教育にも大変興味を持ちました。今、環境の問題は、まさに目の前に突きつけられた現実なのですが、その問題に最初にふれる本として、とてもおすすめだと思います。
H Yさんからすすめられて読み始めたけれど、最初のほうは環境問題の歴史を総括するような内容だった。僕は、公害が騒がれた時代に生きてきて、いろいろ報道にも接してきたので、いまさらまとめてもらわなくてもと思いながら読んでいた。でも、本の後半に入ると、環境を考えることと、聖書でイエスが伝えていることとがググッと融合されてきて、思わず引きこまれてしまった。それを融合しているのが、『回勅ラウダード・シ』をはじめとする教皇フランシスコの言葉なのだけれど、こんなふうに整理してもらうと納得がいくし、具体的な行動にもつながるなと思った。

「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではない

S まず、環境教育についてですが、本書の173ページに、「環境教育とは、環境問題について教えることではありません」と書いてあります。そして次のページに、「環境問題にかかわるとき最終的に問われるのは、私たち自身が、あるべき状態へといかに変われるか、いかにともにより良く変化していくことができるのか、生きる価値の問い直しが迫られます」とあります。今までのような大量生産や大量消費の世界から足を洗って、持続可能な社会を実現していくために、生活様式そのものを変えていかなければならない。そのために必要なのは、物質的な豊かさから精神的な豊かさへの転換、自然を大切にすること、富の分配について考えること、そういうことが環境教育の中にふくまれるということを学びました。
H 環境教育ということでは、182ページに「教皇は『環境教育は、エコロジカルな倫理にそのもっとも深い意味を与えてくれる超越者に向かっての跳躍を助けてくれるはず』であると述べています。そして、環境教育が超越的な次元に心を向ける信仰教育にもなりうることを説いています」と書いてある。これはまさにその通りで、たとえば教会で堅信を受ける中学生に、いきなり宗教くさい話をしても拒絶反応を起こしてしまうかもしれないけれど、環境を入口にすれば、自然に信仰へとつなげていけるかもしれない。「環境教育が超越的な次元に心を向ける信仰教育にもなりうる」という言葉は、教会で若い人たちに接するときに、生きてくる考え方だと思うな。
Y 堅信の準備の時にテハン神父様が、「教えることはしないで」とおっしゃったのと同じではないかと思うの。神様と出会うために心を静めて、呼吸に意識を集中するということから始めるのだけれど、子どもたちは、落ち着いたとかリラックスしたと言います。左脳で「わかる」というよりは、「感じる」こと。この豊かさによって、神様のことを感じ取れるのだなと改めて思うようなことが、この準備の中ではたくさんありました。私、この本の中で最も心に残ったのは、178ページに出ている、生物学者レイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』という本からの引用で、「地球の美しさと神秘を感じ取れる人は、科学者であろうとなかろうと……『知る』ことは、『感じる』ことの半分も重要ではないと固く信じています」という言葉。このことに気づけば、環境問題とか難しいことをいっぱい持ち出さなくても、私たちが自然の一部である人間として生きていく上で、使いすぎ捨てすぎてはいけないとか、富の分配というところにたどり着くのだろうなと思う。化学製品の服を着ないとか、水をよごすような洗剤や化粧品を使わないとか、日々の小さな選択の連続でやっていけると思うの。

H 僕が今着ているのはファスト・ファッションのフリースだから耳が痛いけど、でもこれは息子がもう着ないと言って家に置いて行ったものだから、少しは罪が軽いかもしれない。
Y この本にも出ていましたよね。「製造された衣料の85%が毎年ごみとなって、毎秒トラック1台分の衣料が焼却あるいは埋め立て処分されている」って。新しいものが次々に出てきて、それをたくさん買わせようとしている。私たちその循環の中に組み入れられていて、意識するしないに関わらず、それにくみしているのよね。ほうれん草でもね、農薬を使ったすごく元気なのと、無農薬の細っこくて値段が倍以上するのとだったら、どちらを選ぶか。子どもがたくさんいて、ほうれん草ひとつじゃ足りない家庭だったら、それでも無農薬の方を選ぶべきだとは言えないけれど。
S いいですね。この本一冊で、日常生活の消費の問題から、生産事情、社会事情まで語れるというのは。

より少ないことは、より豊かなこと

S ちょっと難しかったのが、「共通善」という考え方ですね。142ページに「共通善とは、『集団と個々の成員とが、より豊かに、より容易に自己完成を達成できるような社会生活の諸条件の総体』であり、共通善の原理は『全人的な発展に向けて譲渡不可能な基本的諸権利を付与された人格として人間を尊重すること』であると説かれています。この共通善の原理は、『すぐさま、論理的かつ不可避的に、連帯と、もっとも貧しい兄弟姉妹のための優先的選択とを求める』ものであり〜」と説明されていますが、私としては、個人や部分的な集団が追求する善ではなく、社会全体にわたる公共的な善というような趣旨なのかなと理解しました。世界中で法規制や、国際的な会議をやっていますが、地球規模の環境問題になると、果たして法律や条約だけで物事が解決するか不明瞭だと思うのですね。そんな時こそ「共通善」という概念が大切なのだろうと理解しましたが、キリスト者としての先輩であるお二人は、どうお考えですか?
Y 第二バチカン公会議のあとに出た公文書『現代世界憲章』にも、「共通善」という言葉は出てくるの。そのことは教皇フランシスコが言い出したのではなくて、ヨハネ23世やヨハネパウロ2世や、ベネディクト16世もおっしゃっていた。

H 「共通善」って、日本語としてはこなれていない言葉だけれども、本質は「もっとも貧しい兄弟姉妹を優先する」というところにつきるのではないかと僕は理解している。貧しいというのは、経済的なことだけではなくて、心の問題もふくめて、最も困っている人の問題を優先的に選択するということが求められているということだと思う。ただ、一気に世界の富の偏在を正そうとしてもなかなか簡単にはいかないので、身近なところから少しずつやっていくしかないのではないか。
Y 今の教皇様は、選ばれた時にすぐに思い浮かんだのが、フランシスコというお名前だったとおっしゃっていたでしょ。最も貧しく、すべての地球のものたちを兄弟姉妹と呼んだアシジの聖フランシスコに倣いたいと。だから教皇フランシスコの「共通善」についてのアプローチは具体的なのよね。だから私たちにも届いている。
H アシジの聖フランシスコの話が出たけれど、僕がこの本でいちばん心を動かされたのは、183ページにある、「アシジの聖フランシスコの姿を思い起こすことによってわたしたちは、被造界との健全なかかわりが、全人格に及ぶ回心の一面であることに気づかされます」というところ。「回心」というと僕なんかは、全財産を投げ打って貧しい人のためにつくさなきゃいけないみたいに考えてしまって、そんなことできねえと思ってしまう。ところがこの本には、環境に配慮したライフスタイルへの転換が、「回心」の一面であると書いてある。それなら日常の中でも取り組めるなと感じた。教会でいいお話を聞いたり、黙想会で半日祈って、「そうだ、こうしなくっちゃ」と思ったりしても、会社に行くとみんな忘れて仕事に邁進してしまうというのが僕の人生だったから、全財産を投げ打つとか、世の中を大きく変革するとか考えると、結局手をつけられなかったんだけど、環境に配慮したライフスタイルに一歩一歩転換していくというのは、すごく取り組みやすい。それが「回心」の一面で、神のみ心にかなうことなのだと思うと、すごく安心できる気がするのね。
Y 私が気に入っているのは、『使徒的勧告 愛するアマゾン』に出てくる、「先住民は私たちに、幸福な節制とはなんであるかを気づかせてくれる」という教皇様の言葉。『回勅ラウダード・シ』の最後に出てくる、「節度ある成長とわずかなもので満たされること」、「より少ないことは、より豊かなこと」という言葉と同じ意味よね。私たちは日々、小さな回心を積み重ねながら、生活をちょっとずつそちらへ向けていくことが大切なのではないかしら。

クリスマスのメッセージを味わうために

S 私は正直なところ、この本で誌上読書会をやると決まってから、読まなければというプレッシャーを感じながら読んでいたんですよ。でも、ある日を境に読むことがめっちゃ楽しくなって。この本には、世の中で起きていることも、倫理的なことも、祈りの要素まで入っていると思って、いつか著者の吉川まみ先生に会いたいなと思いました。
Y 教会の中でもう少し多くの人がこの本を読むようになったら、平塚教会に先生をお呼びして、講演をしていただいてもいいかもしれないわね。
H 今回、教会報のクリスマス号という場をお借りして、誌上座談会をお届けしたわけだけど、著者はこの本の188ページ、本文としては最後の部分を、教皇フランシスコの次のような言葉で結んでいるよね。「わたしたちは、ともに暮らすこの家に、一つの人類家族として、神のほかの被造物との生物多様性のなかで生きているのです。神の像としてわたしたちは、あらゆる被造物を大切にして、自分達の兄弟姉妹への、とくにもっとも弱い人への、愛と思いやりをはぐくむよう求められています。独り子イエスにおいて明かされた、わたしたちへの神の愛を模範として、そうするのです」。教会報冒頭のテハン神父様の原稿にもあるように、神はひとり子イエスを、最も弱い存在である赤ん坊としてこの世につかわされた。そのことを記念するクリスマスにあたってこの本を読むことは、クリスマスのメッセージを味わうためにも、意味のあることではないかと思います。

教会報編集部では、2024年1月以降、この記事で取り上げた『ライフスタイルの転換に向けて、ともなる歩みを』の読書会を開催する予定です。この本をお読みいただき、その感想を分かち合いましょう。参加希望者は、教会報編集部までお声がけください。



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