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特集 第6地区合同堅信式

12月4日(日)、カトリック平塚教会で、横浜教区第6地区合同堅信式が行われました。この特集では、当日の様子について、堅信のための準備について、そして堅信を受けた方たちの声をお届けします。

●合同堅信式、当日の様子

12月4日(日)13:30から、カトリック平塚教会で横浜教区第6地区合同堅信式が行われました。当日、堅信の秘跡を受けるのは、平塚教会18名、茅ヶ崎教会12名、秦野教会8名、国府津教会3名、小田原教会3名、真鶴教会2名、大磯教会1名の合計47名です。聖堂には、受堅者とその家族、代父・代母など、約250名が集いました。
 堅信式は横浜教区の梅村昌弘司教の司式によるミサの中で行われます。司教様と共に、第6地区の各教会の主任司祭など6人の司祭が司式に加わりました。ミサが始まり、「ことばの典礼」のあとに、「堅信の儀」となりました。
画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 20221224-KEN.jpg まず、各教会の主任司祭が、堅信を受ける人の名前を一人ひとり呼ぶと、名前を呼ばれた人は次々と起立していきます。ここで起立することが、堅信を受けたいという望みを表現したことになります。次に、「洗礼の約束の更新」が行われました。
 司教様が「あなたがたは悪霊と、そのすべてのわざと、誘惑を退けますか」と質問すると、47人の受堅者は、声を合わせて「退けます」と答えます。47人の声が合わさって、聖堂が響き渡りました。引き続き4つの問答が繰り返され、最後に司教様が、47人の信仰宣言を教会の信仰と認め、「これこそわたしたちの信仰、主イエス・キリストにおいて、誇りをもって宣言する教会の信仰」と宣言しました。
 ここから堅信式の核心部に入ります。使徒の後継者である司教様が、受堅者に按手して聖霊が送られるように祈ります。列席の司祭たちも、司教様とともに按手して祈ります。画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 20221224-KEN2B.jpg
 それから、受堅者はひとりずつ司教様の前に進み出ます。代父母も受堅者のうしろに立って、受堅者の肩に手を置きます。司教様は一人ひとりに按手しながら、聖香油で額に十字架のしるしをし、次の言葉を唱えて堅信の秘跡を授けます。
 司教「〇〇(受堅者の名前)、父のたまものである聖霊のしるしを受けなさい」
 受堅者「アーメン」
 司教「主の平和」
 受堅者「主の平和」
 このあと「共同祈願」を唱えて、「堅信の儀」は終了します。
 ミサが終わったあと、司教様と司祭団、それに受堅者は聖堂の入口に並んで、記念の集合写真を撮りました。この日は天候に恵まれ、聖堂入口の大階段には、初冬の夕方の日差しが穏やかに降り注いでいました。
 受堅者たちが聖堂の席にもどると、司教様からお祝いの言葉が贈られました。
「皆さん、おめでとうございます。ある司教様が受堅者に贈る言葉の中で、『堅信を教会とのサヨナラの秘跡にしないでくださいね』と言ったことがあります。小さいころから堅信を受けるまでは、教会に通ってきたのに、堅信を受けた途端に、教会とサヨナラしてしまう子どもたちが多いことを、言おうとしたのだと思います。私も皆さんに、同じことを伝えたいと思います。堅信とは、ようやく一人前のキリスト者になったということなのです。今までは、お父さんやお母さん、あるいは教会のいろんな方たちに守られて、信者として歩んできたかもしれません。でもこれからは、大人の信者として独り立ちしなければいけないのです。大人のキリスト者として責任を持って歩み、みなさんがそれぞれの場で出会う人々から、ああ、この人はやっぱりキリストを信じている人だなあと思ってもらえるように努めてください」
 そのあと、受堅者から司教様への質問タイムになりました。受堅者からは、次のような4つの質問が投げかけられ、それに司教様が答えました。
「司教様は普段、どんな仕事をしていますか?」「今までで、いちばんびっくりしたことはなんですか?」「堅信で聖香油を塗るのはどうしてですか?」「私はいま20歳ですが、20歳のころの司教様にとって、教会はどんな場所でしたか?」
 質問タイムが終わると、受堅者の皆さんへ、第6地区有志によるハンドベルの演奏のプレゼントがありました。
 最後に、この合同堅信式を担当された、小田原教会と真鶴教会の主任司祭・宮内毅神父様から、受堅者への励ましと参加者全員への感謝の言葉が述べられて、16時前に合同堅信式は終わりました。画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: 20221224-KEN3-B.jpg

●堅信の準備とそこから見えてきたもの 受堅を希望する人々とともに歩む会

どのように始まったか、またその準備は?

 「部会」という枠を取り払って、堅信式(12月4日に行われる6地区合同堅信式)の準備を始めましょう。堅信を希望されている方々とともに、堅信へのその旅を私たちも一緒に歩みましょう。そのためだけの集まりとして、声かけがあったのは復活節が過ぎるころでした。
 これまでは、典礼部と宣教部を中心に行われてきた経緯がありますが、今回はその枠組みなしです。まさに教皇フランシスコの「境界を設けない:without borders」であり、それは小さくても実はこんなところからも私たちのありようを少しずつでも変えていく、少なくとも意識化される、そんな「協働」こそシノドスそのものであり、教会そのものなのでは? 大変でも今の私たちは始めてみましょう〜必ず、聖霊がともにおられ、導いて下さる。私たちはこの小さな舟に乗り込みました。

 具体的な準備段階へと進むにつれ、いったいこのコロナ禍でどのようなことができるのだろうか? 恒例のキャンプももちろん、あれもこれもできない? 何がある?? どのような形で、何ができるか〜を神父様とともに話し合いを持ちました。
 まず、神父様は「いわゆる“勉強会”にならないように」それは、講座でもなくプログラムでもない? では、私たちは何を?
 第1段階  「静思のひと時」で祈りの体験をし、そのあとに感想を聴く。
       彼等の声をよく聴く。それを深める。
       大切なのは、神様が私たちを愛し、いつもともにいて下さること、
       それを感じられる体験をすること。
 第2段階  信仰と生活の結びを彼等から学ぶ。聖書と自分との関わりを見る。
       例えば「よきサマリア人」や「放蕩息子」などを用いて、現代的に
       どのように表現できるか。
 初めにこのような提言をいただきました。そして、これらを進めるにあたり、あくまで堅信を希望する人々の都合に合わせ、「一人ひとりによく聞いて日程を決めて下さい。こちらの都合やプログラムではなく」。これは、中高生は部活などもあり、また夏休みにも入ることも考慮されてのことでした。
 こうして準備は何歩も進みました。私たちの心にあかりが灯された思いでした。私たちは、7月からこの集いをスタートすることになりました。

…どのように進め、その中での課題は?

この集いは、ミサ後間もなくパトリックホールに集まるところからスタートです。椅子を丸く並べます。ここに集まった全員でその作業をします。参加者は堅信を希望する方々、その付き添いでみえた方々、それとこの集いに参加してみようという方々、そして私たち(5名)です。
 「静思のひと時」から始めます。〜落ち着いて、ゆっくりと呼吸に集中し、その静まりの中で深く憩います。〜もとの呼吸にもどってから、静かにリラックスした心と身体の状態を味わいながら、次へと移ります。
「分かち合い」は、一人ひとりが今、心にあることを自分の言葉で話します。指名も順番もなく、一人の方が話すのに皆が耳を傾けます。また次の方が話すのに参加者はただ、耳を傾けます。次の方へ、とひと巡りします。
このエクササイズは、小学生から中学生、高校生、大学生、社会人と幅広い年代の参加者が、どの回で、どのような参加者とご一緒されても、和やかな受容の時となりました。「分かち合い」は回を重ねるごとに、そこにいる一人ひとりを、またそのさまざまな関わりを、いつの間にか変容させてくれるのだと気付かされます。

7月、8月と「静思のひと時」「分かち合い」さらに「祈り合い」を通して、神様と向き合うことを少しずつ体験しました。
9月から、第3段階として「アイマスク」、第4段階「聖書の分かち合い」と移ります(初めの段階のプランが少し組み立て直されました)。「アイマスク」のエクササイズを始める前に、私たちはテハン神父様にお話をうかがう時間をいただきました。
このエクササイズは、同等であるという経験であること、相手と自分の弱さに直面する経験でもあること、イエスが弱い人の立場に立たれたのも、彼らが解放されるために同じところに立たれたことを、この新しい体験を通して心の深みで味わう〜そのような機会であるというものでした。

このあたりまで進みながら、様々な準備不足(経験不足?)、周到とは決していえなかったことが露わになり、5人もそれぞれの葛藤のうちに祈り、また立ち上がり、どうぞこの歩みを照らして下さいと聖霊の主に祈りました。そして、私たちをいつも見守り、神様へと「方向指示」をして下さるテハン神父様が、回が終えたところで都度、その日の流れについて分かち合いの時を共有してくださり、そこで私たちはそれぞれ多くの気づきを豊かにいただき、「さあ、また次回も!」と立ち上がって再び一歩を踏み出すことができました。

〜その課題から見えてきたもの、「つながり」へ

回ごとにその準備を続けながら、ずっと通奏低音のように頭から離れずにいた気がかりがありました。それは、情報や事務的な伝達がなかなかスムーズになされない、名簿を正確に作成するには驚くほどの時間が費やされる…。
フィリピンコミュニティや南米コミュニティの方々にお願いし、多くを助けていただきましたが、あらためて教会のありようを痛感しました。横浜教区は早くからこの取り組みをしてきたはず、と思いながら、まだまだ瑣末は置き去りのままだったと、今回はっきりと気付き、反省もいたしました。
平塚教会のひとつの特徴でもある、複数のコミュニティで構成されている共同体にとって最も大切なものは「つながり」なのだ、とあらためて気付かされました。フィリピンコミュニティ、南米コミュニティ、そして日本コミュニティが、もっと確かに「つながる」こと! その「つながり」は、さらに豊かに教会を育ててくれるものとなるはずです。
洗礼や初聖体のあとも、教会で温かく見守られ大切な存在として招かれているという、誰にとってもそのような居心地の良いところ。本来、各々「コミュニティ」で括らなくて済むところ。それはシステム化ではなく、聖霊に導かれる民として、形作られる集い。まさに隔てるものも境界もなく。「教会とシノドスは同義語」ならば、私たちは一人残らずこの「つながり」〜交わりへと招かれている者たちです。

この[受堅を希望する人々とともに歩む会]は、さまざまな枠無しで前例のない、またモデルもない協働として、漕ぎ出しました。暗がりで転覆しそうになったり、あまりにも理解されていないことをしているという思いに押しつぶされそうだったり、各々葛藤や祈りの中を進めました。しかし、次の集いへと進みながら気付きます。彼らに会えると変わっている。何か彼らの中で小さくかすかに、確かに。さらなる驚きは、それを見つめている私たちも変えられている、ということでした。
まさにこの旅は、堅信のための準備として集められたすべての者を(彼らも私たちも)丸ごと新たにしていました。そればかりか、教会そのものも緩やかにかすかに変わります。受堅される人々への温かな眼差しも、祈りも感じます。それは、その先へとつながっていく兆しのようでもあります。聖霊は、私たちにそれを贈ってくださったのです。

 

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