カトリック平塚教会報 第115号 2019年8月11日発行
平塚教会主任司祭 トーマス・テハン
- ある、晴れやかな朝のことです。私は、いつもより遅い時間に散歩に出ることにしました。小さな公園を通り過ぎようとした時、小学生が集まっていることに気付きました。私はそのまま歩き続け、戻ってくると、10人、あるいはそれ以上の子どもたちの集団を、数名の保護者の方々があちこちの交差点で見送っていました。小学校の黄色い帽子をかぶった子どもたちは、おしゃべりや遊びに夢中でした。高学年の子どもたちは、一年生とペアで歩いているようでした。子どもたちのグループは、数えてみると8つで、大きな交差点では、交番の警察官が、交通量の多い道路を子どもたちが渡るのを見守っていました。小学校の先生方も合流し、子どもたちに「おはよう」と声をかけていました。こういった子どもたちへの配慮に、私は深く感銘を受けました。このように多くの大人に導かれた子どもたちは、なんと恵まれていることか、と思いました。スマートフォンを使っている人がだれもいなかったことも、私には興味深いことでした。
一方、日々のニュースでは、このような美しい光景にお目にかかることはめったにありません。「暴力」、「破壊」、「戦争」、「災害」に関するニュースばかりです。人々は怯え、将来への希望を失う人も多いと思います。最近読んだ本によれば、「信念」の反意語は「疑念」ではなく、「不安」なのだそうです。私たちにとってひとつのメッセージが、ここにあると思います。
夏休みは、新たな経験ができる絶好の機会です。私は、若者、高齢の方々、どちらも参加する夏のキャンプを、いつも楽しみにしています。振り返ってみると、これまで行われたキャンプのなかで最も楽しかったのは、あらゆる年齢の方々が参加したキャンプでした。様々な年齢の人々が協力して料理の支度をし、ともにテーブルを囲んで食事を楽しむ姿を見ることができたのは、とても良い思い出です。そして、小グループで福音の物語を劇で演じる準備をしている時、気付いたことを分かち合おうとしている姿に、お互いをとても信頼し、協力し合っている様子が強く感じられました。ブラインド・ウォーキング(目隠しをして歩くこと)を実施した時には、さらに大きな信頼を築き上げていると感じました。
最近、結婚の準備をしている若い男女が、ブラインド・ウォーキングを経験した後に、口々に次のように語ってくれました。「ブラインド・ウォーキングの経験をして、お互いに対する信頼感が一層高まりました」。その言葉を聞いた時、私は本当に感激し、この2人がこのまま信頼を高め合っていくことができたら、将来に恐れなど抱くことはないだろうと確信しました。
聖母被昇天の祝日を祝う時、マリア様の生涯は、神様への完全なる信頼そのものだったことが分かります。彼女は心の底から、神様に愛されていることを知っていました。私たちも神様から愛されているのですが、たびたびそのことを忘れてしまい、将来をコントロールしようとしてしまいます。不安になると、私たちは他の人を巻き込むことなく、計画を実現する方法を探ろうとします。私たちを導いてくれた人々のことや、私たちが受けてきたお恵みを思い出すことは、神様の愛を教えてくれる人々と向き合う勇気を、私たちに与えてくれます。誰もが助言者を必要としており、年齢を重ねた人には、若いエネルギーをどう使うべきか悩む若者達に対して、特別な使命があるのです。
あの日、私が出会った交番の警察官、小学校の先生、保護者の方々は、小学1年生の手を引く高学年の児童とともに、「生き生きとした命を与えてくれる共同体とは何か」という問いに対する、ひとつの答えを示しているだろうと思います。(訳:M.U)