日本と聖母の祝日の不思議な関係

ここで、日本と聖母マリアの記念日との不思議な関係についても触れておきましよう。1549年に日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルが、初めて鹿児島に上陸したのは8月15日でした。そこでザビエルは、日本を聖母マリアに捧げて、その庇護を祈ったと伝えられています。そのせいかどうかは分かりませんが、日本の歴史的な出来事と聖母マリアの祝日は、実によく重なっているのです。真珠湾攻撃によって太平洋戦争が始まったのが、1941年12月8日、この日はカトリックの国では盛大に祝われる「無原罪の聖マリアの祝日」です。太平洋戦争が終わったのは、1945年8月15日で、この日は「聖母マリアの被昇天」です。その後、サンフランシスコ講和条約が調印されたのが、1951年9月8日で、この日は、聖マリアの誕生日に当たります。さらに日本の建国記念日の2月11日は、「ルルドの聖母の祝日」となっています。

信じるすべての人の救い

聖母の被昇天について見てきましたが、この信仰はマリアだけが特別な存在だと教えているのではありません。聖母の被昇天は、キリストによる救いにあずかる人たちの象徴として、信じるすべての人たちの救いへの希望を表現しているのです。このことについて、被昇天のミサの集会祈願では次のように祈っています。「全能永遠の神よ、あなたは、御ひとり子の母、汚れのないおとめマリアを、からだも魂も、ともに天の栄光に上げられました。信じる民がいつも天の国を求め、聖母とともに永遠の喜びに入ることができますように」

参考資料:「カトリック中央協議会ホームページ」ほか