カトリック平塚教会報 第85号 2009年 8月 15日発行
今号の教会報では、聖母マリアの被昇天について特集します。
被昇天といえば、「マリア様が天に上げられたお祝い」ということは、どなたもご存知だと思いますが、もう少し詳しく見てみましよう。『日本大百科全書』(小学館)の「被昇天」の項には、次のように記されています。
「カトリックの教義の一つ。聖母マリアの死後、その肉体と霊魂が天に召されて、神の救いにあずかり、神から栄光を受けたことをさす。教皇ピオ12世は1950年11月1日に、これがカトリック教会における信ずべき教義であることを宣言した。聖母マリアは完全な信仰によってキリストの受肉のお告げを受諾し、『神の母』となった。キリストの救いが聖母マリアを通じて全世界に仲介された。この理由から、聖母はキリストの救いを完全な仕方で受け、キリストによって成就した救いの範型となった。キリストのもたらした救いは人間の全身心の救済であるから、聖母マリアがキリストの救いの力を完全に受けて、その全身心が神の栄光に輝いたと信ずるのは当然である」 執筆者 門脇佳吉神父
聖母マリアが、肉体も霊魂もともに天に上げられたことがポイントのようですが、意外なのは、教義として宣言されたのがわずか59年前だということです。ただ、教義となる以前から、カトリック教会は何世紀にもわたって聖母被昇天の伝承を大切にしてきました。聖母マリアの記念日は、早くも5世紀のエルサレムで祝われていました。6世紀には、8月15日を「マリアの死去の日」として、東方教会で祝うようになりました。この祝日は、7世紀半ばに西方教会にも受け継がれ、教皇セルジオ一世(在位687~701)は、ハドリアヌス教会からサンタ・マリア・マジョーレ教会までの行列や徹夜祭などを行って、盛大に祝っています。マリアの被昇天の名で知られるようになつたのは、8世紀末になってからで、8月15日を正式に聖母被昇天と定めたのは、教皇聖ニコラウス1世(在位858〜867)でした。聖書の中に聖母の被昇天についての記述はありません。教会の伝承によれば聖母マリアは主イエス・キリストが天に昇られた後、しばらく12使徒と一緒に生活されましたが、やがて聖霊の力によって天に上げられたと言われています。その伝承が、神から啓示されたものであることを、かつての司教たちが一致して認めてきた結果として、1950年のピオ12世による教義宣言に至ったというわけです。
Fête de l’Assomption
名画に描かれた聖母の被昇天
ティツィアーノの弟子であったクレタ島出身の画家、エル・グレコにも「聖母被昇天」という代表作があります。この絵の聖母は、三日月に乗って天に上げられていきます。画面の下部では、聖ヨハネや聖ペトロなどイエスの弟子たちが聖母の棺を囲んでいます。