安らぎのキリスト像 ができるまで

広告会社に入社して以来の私の仕事を一言で表現すれば、“プロデュース”という言葉になると思う。雑誌編集にも長く携わっているが、これもプロデュースの一種である。優れた表現者たちを見つけてきて、それぞれの持ち味を引き出し、あるいは組み合わせ、目的に沿った制作物を作り出して対価を得る。これがプロデュースという仕事の基本だ。この経験を活かして、父の作品をプロデュースしてみたいという気持ちを、漠然とではあるが、いつの頃からか持つようになった。

私が子どもの頃から、父はいつも仕事場にいて、黙々とノミをふるっていた。出来上がった作品の型をとったり、設置したりするときに手伝ったことは何度かあったが、作品の内容に意見を持ったことはなかった。子どもの頃は作品の良し悪しは判らなかったし、大人になってからも、それは立ち入るべき領域ではないと思っていたからだ。やがて、父の作品をプロデュースしてみたいと思い始めた頃には、父に大きな作品の依頼が来ることはめったになくなっていた。
「親孝行したい時には親はなし」。結局そういうことなのかと思い始めていたのだが、チャンスは突然巡ってきた。


きっかけ

2005年3月、平塚カトリック教会の新聖堂が竣工した。コンクリート造りながら、正面に大きな木製の壁面があり、そこには当初、旧聖堂のイメージを受け継いだ装飾が施される予定だった。ところが建築途上で、設計者は装飾がなくてもいいと思い始め、とりあえず装飾なしのまま竣工を迎えることになった。
だが、何もないのはやはり寂しい。この壁面をどうするかについては、聖堂建設委員会の副委員長であった私に任せてもらうことになった。

竣工前までは、ギリシャ語でキリストを意味する記号(ギリシャ文字のXとPを重ね合わせたもの)を壁面に取り付ける案が有力だった。ところが、デザイン案を依頼していたA・・さんから、キリスト像の彫刻を設置してはどうかというアイデアが出されて、主任司祭のブランチフィールド神父様もその話に乗り気になった。入口の上の壁面に、像が設置されている教会というのはめずらしい。したがって、既製品の像ではぴったりのものはないだろう。予算もそれほど多くは残っていない。低予算で制作してくれる作家を探さなければと思ったとき、父に制作してもらえないかという考えが頭をよぎった。

父はこの年、92歳になる。若い頃は、幾多の教会に彫刻を制作しており、かつて自身が所属していた平塚教会にも、木彫のマリア像、聖父子像、十字架の道行き(キリストが十字架にかけられるまでの14場面を描いたレリーフ彫刻)が飾られている。もう少し若ければすぐにでも相談するところだが、ここ10年ほどは大きな作品は作っていなかった。ただ、先日も20cmほどの木彫の十字架を作ってもらったばかりで、創作意欲が衰えていないことは確認済みだった。4月24日に行われる新聖堂のお披露目の式には、両親揃って出席してくれるというので、その時現場を見てもらって、制作する気持ちがあるかどうかを訊いてみることにした。


二度の挫折

答えはイエスだった。ただ、父の行動パターンを数十年間見てきた息子としては、すぐにゴーサインを出すわけにはいかない。まず、信徒の皆さんや関係者の検討材料として、作品のイメージ・スケッチを描いてもらうことにした。

ゴールデンウィークに父の家(群馬県榛名町)を訪ねて、作品のイメージについて話し合った。A・・さんの意見を参考に私がイメージしていたのは、高さ150センチの半立体のキリスト像。通常の立像の後ろ半分をバサッと切り落として、背中を壁面に密着させるイメージだ。父は、杖を持って羊を導く“善き牧者のキリスト”がいいと言っていた。早速、父が見つけてくれた絵を縮小して聖堂の写真に貼り込み、主任司祭や何人かの信徒に見せて意見を求めた。
様々な意見が出てきたが、その中から共通するイメージが浮かび上がってきた。教会の入口の上で、両手を広げて、訪れる人たちを優しく迎え入れるキリスト像。そのイメージを伝えようとした矢先、父から手紙が届いた。

原寸大の線を引いてみたが、150cmの像を作るのは体力的に難しそうだ、という内容だった。父が制作するかもしれないと話して、喜んでもらっていた主任司祭をはじめ何人かの人たちには、計画倒れになったことをお詫びした。ただ教会の中に、キリスト像がいいという雰囲気が出来上がりつつあったので、急に方向転換するわけにもいかない。別の方法で彫刻を手に入れるための、試行錯誤が始まった。

父からのアドバイスも受けながら、まず教会の皆のイメージに近い絵を探すことにした。同時に国内外で、キリスト像を制作してくれる先も探さなければならない。絵の方は、四谷のサンパウロにある御絵の在庫をすべてチェックしてみたら、かなりイメージに近い一枚を探し出すことができた。制作者のほうは、150cmの既製品の像でも最低50~60万円はかかり、オリジナルの作品を依頼したら、いくらかかるか分からない状態だった。

そうこうするうちに時間は経っていった。8月中旬に、A・・さんと電話で話していると、FRP(強化プラスティック)で成型するのなら、原型は二分の一の大きさでも大丈夫だという話を聞いた。父が制作を断念した理由が、150cmという大きさだったから、ひょっとしたらと思って、もう一度相談してみることにした。
その話を聞くと、父は俄然やる気を出した。早速、制作に取り掛かりたいというので、私が見つけておいた絵を送ったが、まだ教会の皆から賛同を得ていないので、作っても無駄になる可能性があると念を押した。そして、とりあえず9月3日に試作品を見に行くことになった。

9月2日の夜、父から電話があった。電話の声は元気がなく、謝らなければならないことがあるという。やはり制作は難しそうだ。試作品を作ってみたが、明日壊すから見に来なくてもいいという。せっかく作ったのなら一度見たいから待ってくれと告げて、翌日、榛名町へ向かった。高齢の父に無理を頼んだことを、後悔する気持ちになっていた。


制作スタート

父の家に到着すると、なんとテラスには150cmの粘土のレリーフが立ち上がっていた。まだ胴体は作り始めたばかりだが、顔はほとんど完成していて、実にいい表情をしている。父がこれまで作ってきた多くのキリスト像の中でも、特にいい顔だと思った。父の近所に住む姉も来てくれて一緒に見たが、短時間でここまでできたのなら完成できるのではないかということで意見が一致した。その日の朝までは壊すといっていた父も、私たちの意見に動かされたのか、制作を続けると言ってくれた。

私は、制作途上の作品の写真を撮ると、それを使って二つのことをした。
まず、写真を縮小して聖堂正面の写真に貼り込み、イメージ・スケッチを作り直した。それを教会の人たちに見せると、絵を貼り込んでいたときより格段によい反応が得られた。同じものを聖堂の設計者である高垣建次郎さんにもお送りした。できれば設計者に賛成してもらった上で、制作を進めたかったからだ。幸いなことに、高垣さんからは積極的な賛同の返事をいただいた。「前の聖堂からのつながりを含めて、お父上が心を込めてお創りいただけるのが、設計者にとりましても至福の至りです」。高垣さんからのメールは、そんな言葉で結ばれていた。
二つ目にしたのは、様々な角度から撮った作品の写真を、父宛に送ったことだ。写真とともに、作品について気になる点を6項目の箇条書きにして送った。一人で制作に没頭していると、作品を客観視できなくなることに気づいたからだ。気になる点については、作品を前にして口頭で伝えてあったが、紙にして手元に置いてもらった方が、作品に反映される可能性が高いと考えた。
作者にしてみれば、素人から作品への改善点を箇条書きで送りつけられるのは不愉快かもしれないが、今回の作品に関する限り、私には平塚教会の皆に対して、最高の作品をプロデュースする責任があった。そして息子としても、父の生涯であと何回作れるか分からない大作を、最高の作品にしてもらいたいという想いがあった。この二つの想いを自覚したとき、私はこの作品に、悔いが残らないよう精一杯関わろうと心に決めた。


教会の承認

父が粘土像を完成させたら、A・・さんの知り合いのFRP技術者が成型し、A・・さんが設置してくれるという手はずが整った。設置をクリスマスに間に合わせるためには、逆算すると11月中旬までに粘土の像が完成しなければならない。締め切りを少しサバ読んで、父には11月初めまでの完成を依頼した。寒くなるとテラスでの仕事は難しくなるし、粘土の乾燥という難問もあり、それ以上長引かせることはできなかったからだ。
作品が日の目を見るために、もうひとつしなければならないことがあった。聖堂正面の壁面は、まさに教会の顔だ。そこに設置する作品については、信徒全員の合意が得られていることが望ましい。教会の主だったメンバーには、すでにイメージ・スケッチを見せて賛同してもらっているが、それ以外の人々の意見を吸い上げる方法を考えなければならない。また、建設に関する事項を一任されていた建設委員会が既に解散している以上、最終決定は教会委員会で下してもらわなければならない。
10月下旬、1ヵ月の休暇から戻られた主任司祭の許可を得て、聖堂入口にポスターとご意見箱を設置させてもらった。ポスターには、制作途上の父の作品を貼りこんだ写真と、対抗案であるキリストのシンボル(ギリシャ文字のXとPを重ね合わせたもの)を貼りこんだ写真を掲げ、キリスト像の案で進めたいと思うが意見のある方は口頭か書面で伝えてほしい旨を書き込んだ。期日までに反対の意見は寄せられなかったので、そのことを11月13日の教会委員会に報告し、審議の結果キリスト像の案が採用された。作品制作と同時進行の意見聴取になってしまったが、信徒の皆さんも実際の作品の写真を見ながらの方が判断しやすかったのではと思っている。


完成へ向けて

10月25日、作品が完成間近ということで、再び榛名町へ向かった。当日は、兄も姉も来てくれて、作品についてそれぞれ意見を述べ合った。兄は作品制作用の台座やパネルを作るなど、私の気がつかなかったところで父に多くの協力をしてくれていたとのことだった。作品は全体としてはなかなか上出来だと思ったが、気になるところはすべて指摘することにした。受け入れるかどうかは、作者が決めればいいことだ。
皆のやり取りを聞いていた母が、「こんなにみんなに意見を言ってもらえるなんて初めてね」と嬉しそうに言っていた。これまでの何十年間、母がたった一人の批評家として頑張ってきたのだろう。帰宅後、写真を現像して、気になった点7項目のメモとともに父宛に郵送した。
当初の計画では、粘土の作品を横浜にあるFRPの制作会社に移送して、そこで型をとる予定だった。ところが、作品の写真を送ると、粘土のまま輸送するのは危険だということがわかり、榛名町で型をとることになった。関係者のスケジュールを調整し、型をとりに行く日取りは11月17日に決定した。作品の完成期日も、その日まで延びたことになる。
完成前にもう一度作品を見ておきたいが、11月13日には教会でバザーがあり、私は実行委員長をおおせつかっていた。直前の休日は準備で忙しい。結局、11月5日の夜中に行って、翌日の朝とんぼ返りすることになった。作品は確実によくなってきているが、細かい部分ではまだ気になるところがある。締め切りが延びた分時間ができたので、帰宅してから8項目の要望をメモにして父に送った。これでもう言い残したことはない。
11月17日は朝から気持ちよく晴れていた。早朝、A・・さんと待ち合わせて榛名町に向かった。途中で成型を担当してくれるH・・さんと合流し、午前10時前には父の家に到着した。石膏で型をとる作業は、かつては父の指揮の下に母や子どもたちが手伝ったものだが、今日は専門家が手際よく行ってくれる。昔を思い出して微笑みながらその手際を見つめる父と母の姿は、なかなか絵になる光景だった。
型が乾くまでの時間を利用して、皆で作品の色を検討した。私は木彫に見えるような仕上がりをイメージしていたが、FRPの専門家であるH・・さんが、テラコッタ(素焼きの陶器)風の仕上がりを提案してくれて、皆の意見が一致した。梨地(梨の表面のようにザラザラした状態)に仕上げるとより効果的だという。さすがその道のプロの発想だと感心した。
出来上がった型は、その日のうちに横浜の制作会社に納められた。後は完成までお任せしてもよかったが、ここまできたらには最後まで見届けたい。型から出てきたものがイメージと違っていて後悔したくなかったので、着色の場にも立ち合わせてもらうことにした。
11月26日、期待に胸をときめかせて現場へと向かった。型から出てきた顔は、原型と少し違って見えたので、羽生さんに無理を言って修正してもらった。色は迷った末に、壁面より濃い色を選択した。仕事場から外へ出して着色してもらっていると、にわかに雲から顔をだした西日が彫刻に当たり、キリスト像は魂を吹き込まれたようにいきいきとした表情を見せた。そのとき初めて、作品が成功したことに確信が持てた。


まなざし

キリスト像は12月10日に、平塚カトリック教会の壁面に設置された。見る人誰もが、素晴らしいと言ってくれた。12月18日には両親も出席して、主任司祭に像の祝別式を行っていただいた。その後、教会の近くのレストランで、両親を囲んで親しい人が集まり、楽しい食事をした。食事中に、作品に名前を付けたいという話題になり、様々な案があげられた。後に、像を見上げながら私が思いついたのは、“安らぎのキリスト”という名前だった。
食事を終えて教会に戻ってくると、ちょうど冬の西日がキリスト像を浮かび上がらせていた。父の制作したキリストは、約6mの聖堂の壁面から、見上げる者すべてに優しいまなざしを投げかけていた。父はしばらく像を見上げたまま動かなかった。そして、繰り返し感謝の言葉を口にしながら、姉家族の車で榛名町へと帰っていった。
こうして父の作品は完成し、私のプロデューサーとしての役目も終わった。これまでプロとして関わってきて特に印象に残っている仕事と比べても、格別に楽しく、達成感のある時間を過ごすことができた。父をはじめ、関わっていただいたすべての方に、いい仕事をさせていただいたとお礼申し上げたい。

2006年 1月21日

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