カトリック平塚教会報 第119号 2020年12月24日発行
平塚教会主任司祭 トーマス・テハン
この一年、新型コロナウイルスは私たちの生活に甚大な影響を与えてきました。私たちはこれまで、マイホーム、マイカーという言葉に表されるような、消費社会が強調するメッセージの影響を受けてきました。多くの人が、必要のないものを購入する、買物中毒症にかかってきました。
新型コロナが流行しはじめたころ、ティッシュペーパーやマスクといった日用品を買い求める光景が、あちこちで見られました。私たちが、出口の見えない、まったく新しい状況に入ったことは疑いのない事実でした。ひいき目に見ても、指導者が効果的な対策を実施できたとは言えませんでした。
しかし、様々な災害を経験してきた日本の人々は、協力して、ほかの人々の負担を軽減するためにできることを行うという、すばらしい感覚を持っていました。そのため、ほかの国々で人々にマスクをさせようと奮闘しているのを尻目に、日本の人々はマスク着用の意義を理解し、驚くべきことに、あの夏の猛暑の中でも、マスク着用が大きな問題となることはほとんどありませんでした。
施設等におられる年配の人々を守ることが優先され、外来者お断りという方針が厳しく遵守されていました。学校は休校となり、働く人々はできる範囲で在宅勤務をはじめました。公共交通機関の稼働を続けるために、大きな変化が求められました。皆、新たな状況の影響を受けました。それはまた、創造的な対応を行う機会ともなり、インターネットは、人々がやりとりをするための有効なツールとなってきました。
取りうる対応策を模索しながら、積極的なスタンスを維持する人々がいる一方で、様々な理由から、結果がどうなるのか見えず、不安や恐怖を感じている人々もたくさんいます。愛する人を失ったり、愛する人の最期に立ち会ったりすることができないことに耐えている人々もいます。隔離されなければならない人々や、入院しなければならない人々の中には、差別に苦しむ人もいます。気持ちが深く落ち込んでいる人々にとっては、本当に辛い時期です。
私たちは、日常の忙しさに慣れ、それが当たり前となってしまい、火災、洪水、強風などの災害が、驚くようなペースで増加していることに目を向けることがなくなっているのかもしれません。私たちの故郷である地球は危機に瀕しており、風土病はその警鐘です。消費至上主義者の購買欲は、地域の環境を破壊し、そのいくつかは、ほかに置き換えることができないものです。
私たちは、教皇フランシスコが回勅「ラウダード・シ」の中でふれられているような小さなことから、はじめることができます。環境教育は、私たちの周りの世界に、直接的にはっきりと影響を与える行動の仕方について教えてくれます。たとえば、プラスティックや紙の使用を避ける、水を節約する、ゴミを分別する、適切に食べられるものだけを料理する、ほかの生き物に配慮する、公共交通機関を利用する、車を相乗りする、植樹する、不要なライトを消すなど、ほかにもたくさんの方法があります。すぐに捨ててしまうのではなく、再利用することは、それが適切な理由で行われるならば、私たちの尊厳を示す、愛の行いになり得るのです。
クリスマスのメッセージは、神の創造物は貴重な贈り物であり、次代に引き継がなければならないものだということを伝えるために、神は愛する御子を世に遣わされたのだ、ということなのです。
私たち自身の環境保護への転換は、その方向への第一歩なのです。(訳:M.U)