聖母被昇天の祝日に寄せて

カトリック平塚教会 報第91号 2011年 8月 15日発行

平塚教会主任司祭トーマス・テハン

聖母被昇天のお祝いは毎年8月15日にやってきます。今年の8月15日は月曜日です。多くの人にとって今年の被昇天は勤務日になっています。主の御昇天は、今日の日本における典礼暦では木曜日から日曜日に移されていますが、被昇天はそうなっていません。しかし、御昇天と被昇天には多くの共通点があります。両昇天とも、イエスとマリアを天国に受け入れることによって神を祝福しています。そして、昇天させることにより、イエスとマリアに新たな役割を与えているのです。被昇天のミサの序文には、次のような神秘的な言葉があります。「今日、聖母が天国に上げられ、今日の教会の始まりとその完成、人々の希望と慰めのしるしとなった」。イエスは死と復活を経て天国に上げられました。そうすることでイエスは私たちに聖霊を与えてくださいました。聖母マリアがなぜ人々の希望と慰めのしるしなのか考えてみましょう。

今年巨大地震があり、さらに巨大な津波が東北地方の沿岸を破壊してしまいました。たくさんの人が命を失い、いまだにたくさんの人が行方不明になっています。多くの人が愛する人を失い、家庭や生活の糧を失いました。東北地方の人々はこの悲劇に直面しながら、大変な忍耐と意志の強さを見せてきました。しかしながら、原発のメルトダウンは放射能の大気への放出という災害を引き起こし、いまだに東北地方のみならず日本全国の人の頭痛の種になっています。現在は、簡単な解決法がない新たな問題が次から次に起こっている時代と言えます。私には、マリアの人生は私たちに何かを示しているように思えます。

大天使ガブリエルがマリアの前に現れたのは、マリアがまだきわめて若い時であったと言われています。ガブリエルは、「マリアがある子どもを産むために神によって選ばれた」という非常に奇妙なお告げをしました。マリアは驚き、なぜそのようなことが起こるのかわかりませんでした。しかしマリアは神を信じて、ガブリエルが彼女に与えたお告げを受け入れようとしたのです。聖霊が仲立ちをして、神がその約束を実現したのでしょう。

マリアは次に、ヨゼフとの関係がこじれないように努力しなければなりませんでした。ヨゼフも夢の中で神のお告げを聞いていたのです。マリアは懐妊し、遠く離れたベツレヘムまで人口調査の登録のために旅に出なければなりませんでした。ベツレヘムでは、馬小屋の宿で満足しなければなりませんでした。特別な出来ごとがそこで起き、羊飼いや東方からの旅人がその目撃者となりました。その直後に、生まれたばかりの子どもが危険にさらされ、エジプトに逃げなければなりませんでした。神を信頼していたので、彼らはいつ戻れば安全かがわかりました。聖家族は、イエスが公生活開始のために家を離れるまで、平穏な生活を送りました。マリアはイエスを見守る役割を担い、十字架の足元にもマリアの姿がありました。マリアは、私たちの母として与えられたのです。天に上げられることによって、マリアは神の母になるだけではなく、人類の母にもなったのです。

人としてマリアは苦しんでいる人たちに深い憐れみを示しました。マリアは、神の寛大さと信義を信じ、「人はたとえ困難があっても、その困難に打ち勝つことが出来る」という希望を持っていました。カナの結婚式の逸話は、マリアの神に対する信頼のすばらしい例であると思います。マリアは結婚式でワインが足りなくなっていることを知り、このままでは花婿花嫁がとても困ると思いました。マリアはイエスに近づいて、何とかしてほしいと頼みました。イエスは、まるでマリアを叱っているように「まだ自分の時は来ていない」と言いました。しかしながら、マリアは召使にイエスが彼らに命じた通りにするようにと指示しました。被昇天に際して、苦しんでいる多くの人たちにとって、マリアが希望と慰めの源であるように祈りましょう。

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