視点の転換

晴佐久神父様の講演録

去る9月23日、強羅の函嶺白百合学園で、横浜教区の「一粒会大会」が開催されました。「一粒会」(いちりゅうかい)とは、司祭を志す神学生を援助するための活動です。当日は梅村司教様をはじめ、1000人を超える司祭や信徒が集まりました。会場では、東京教区の晴佐久昌英神父様の講演が行われました。すばらしい講演でしたので、晴佐久神父様の許可を得て、教会報に採録させていただきます。

今日ここに集まったのは家族です

皆さんこんにちは、晴佐久神父です。いつもお祈りいただいて、ありがとうございます。今日は主に、ここに集まっている中・高生に向けて話したいと思います。神父・修道者というのは、最高の生き方ですよ。こんな楽しい人生ないですよということを、どうしても私は言いたい。この可能性のある中・高生、それから後ろにいらっしゃる方たちはもう遅いかもしれませんが(笑)、その方たちにもお話をしたいと思います。
司祭職、召命を受けて生きる道、こんなに楽しい道はないですよ。もし、身近な司祭・修道者が、あまり楽しくなさそうに見えるとしたら、本当は楽しいのに隠しているだけです(笑)。たとえば、悩んでいる人が目の前に来たとします。「神様はあなたを愛してますよ。必ず救ってくださいますよ」たった一言そう言う。すると、「あーありがとうございます。救われました」と言って、ぽろっと涙をこぼす。私はその瞬間、あー司祭になってよかったと、心からそう思います。こんな瞬間を、毎日毎日やっているんですよ。最高の生き方、選ばれた喜びなのです。
今日私たちは、神様に呼び集められた家族として、この苦しんでいる世界に、「みんな神に愛されていますよ、皆救われているんですよ」と伝えるために、ここに集まっているんです。これは家族の集まりですよ。みなさん自分の家から出てきて、ここに集まっていると思っているでしょうが、実は違う。自分の家と思っているのは、実は今日のような家族から派遣されている現場であって、たいした家族じゃない。自分の家、親兄弟、子ども。それはたまたま神様がそのように集めて下さった小さな家族であって、キリスト者はまず、これが大きな家族、本当の家族と信じているわけです。ですから今日は、家族旅行みたいなものですよ(笑)。遠いところからこんな山の上に、神に選ばれて、全員ここに集まりました。
神父様やシスターになるということは、この教会家族の仕事をあなたに任せて、あなたを通して聖霊が語り出すということです。簡単ですよ、神父さまになるのって。簡単ですよ、シスターになるのも。なりたいって言ったら、司教様も院長様も必ず守ってくれる。なぜなら、聖霊が守っているからです。聖霊が、なりたいと思ったら必ずならせてくれる。だから出発しましょうよ。その仲間になりましょうよ。そういう話をしに、今日、私は来たわけです。

本当の家族の世話をする仕事

私は小さいころから、神父になりたいと思っていたわけではないんです。ただ、自分の事を一所懸命やりながら、うまくいかないことも多かったけれど、そんな自分がもしみんなの役に立って、みんなが喜んでくれたらどんないいだろうという直観みたいなものが、子どもの頃からありました。どうやったらそうなれるのかはぴんと来てはいなかったけれど、なにかみんなを喜ばせたり、役に立てると、自分も幸せになれるなと感じていた。
でもある時、神父があるじゃないかって気がついた。あれは本当にうれしかったね。最初は、神父さんになったら難しい勉強ばかりして、ちょっと怖い顔して、いっぱい決まりがあって、面倒くさそうだなと思ってたんですよ。でも、ある日気が付いたんです。自分が本当にみんなの役に立って、人を喜ばせるのだったら、神父があるじゃないかって。もうそこからは、やるぞーっていう感じで、教会家族のお世話をするぞという気持ちでやってきたし、仲間を増やすぞという思いで、いっぱい洗礼を授けてきたし、楽しい楽しい神父生活を過ごして、去年、25周年、銀祝になりました(拍手)。
やあ、25年続くとは思わなかった。こんな自分ダメだろうなと思っていたけれど、でも、教会の楽しさはよく知っていた。うちの父親と母親は教会が大好きで、わが家も大事だけど、教会こそ本当の家族だということを子どもたちによく教えてくれたので、僕もそう思って、教会を家族のように感じて育ちました。実際にわが家の両親は、教会の人たちをいつも呼んで、いつも教会の小・中・高生がいっぱい集まっている家だったのです。小平教会という教会でしたが、「小平教会第二信徒会館」って呼ばれるほど大勢集まっていた。うちの父親はパーティーが好きで、何かというと人を集めてごちそうを作って、子ども心に教会のみんながわが家に集まってくれるのがうれしかった。小学生の時に、サンドイッチが山のように並んでいるのが嬉しくて、パクパク36個食べたのを覚えています。中・高生のころは、わが家にみんな集まって、遅くなればご飯出すし、布団敷いて寝てけってことになる。家にはサインするノートがあったけれど、1年間で千人以上の名前が載っていたことがあるんです。
だから、神父になった今でも、教会に来たらみんな泊まってけよ、みんなご飯食べようよ、一緒にいようよと言っている。あるいはそういう集まりを作っては、みんなおいでよと言っています。家族なんだから当然じゃないですか。一緒にいればいい。なんか難しいこと言ったりしたりしなくてもいい。家族が勉強したりきまり作ったりしないでしょ。家族は、信じ合って一緒にいればいい。そうすれば聖霊が下って、何かすごくいいことが起こる。その家族のお世話をするということは、本当に楽しいことなんです。

だれもがカリスマ信者なはずだ

昨日ある集まりがありました。私が高校生、大学生の頃の仲間たちがみんな集まって、銀祝おめでとうって祝ってくれたんです。僕はやっぱりこういう家族のために働いてきたし、これからもそうしようと、勇気をもらいました。
ただそこで、ひとつのキーワードが見えてきました。私を紹介する時に、「カリスマ神父、晴佐久神父様です」と言われたんですよ。こんな風に、思いついたことを話しているのをカリスマっていうのなら、私はカリスマかも知れない。しかし、私は思う。みんなカリスマを持っているはずだ。よく、カリスマ美容師とか、カリスマシェフとか使うでしょ。あれは間違った使い方です。上手に髪が切れるとか、上手に料理が作れるとか、そういうのをカリスマって呼んでいるけれど、本当のカリスマは上手下手は関係ない。神様が選んで神様がその人を用いることをカリスマっていうんです。神様の恵みとか神様の賜物とか、それをカリスマって呼ぶんです。
私は昨日お話ししました。みなさん私をカリスマ神父って呼ぶけれど、みなさんもカリスマを持っているカリスマ信者であるはずだ。すべての司祭がカリスマ司祭であるはずだ。なぜなら、神様が選んで、神様が賜物を授けて、神様がお使いになるから。問題は、そうだと信じて、それをしているかどうか。神様が選んだと信じていれば、神様がちゃんと使ってくださると信じていれば、どんな問題があっても平気なんですよ。神様が私に賜物を授けて下さったと信じているから、私の中に何もなかったとしても平気なんです。
だから、カリスマ美容師という使い方が間違いなのはわかりますよね。その使い方では、はさみがうまく使えなかったら、カリスマ美容師と呼んでもらえない。でも、教会の使い方で言うなら、世界一鋏の使い方が下手くそでも、神様に選ばれたと信じて、こんな下手くそな私を通して神様が素晴らしいことをしてくださると信じて髪を切れば、そこにすばらしいことが起こる。それをカリスマ美容師って呼ばなくちゃ。
私なんか、ダメダメ神学生でしたし、勉強できなかったし、いろんなことが上手くいかないし、自分の中にコンプレックスをいっぱい抱えて、みんなと同じようには生きていけないという寂しさの中にしょんぼりしているような神学生でした。こんな自分が何の役に立てるのだろうとドキドキしている中学生、高校生でした。カリスマを信じてない頃はね。でも、神様に選ばれたと信じて、カリスマがあるって受け入れたら、こんなになっちゃいました(笑)。
神様が働いているのだから、失敗しようが、人から責められようが、そんなことは何でもないですよ。少しはましにしようと努力してもいいけれど、どんなに努力してもましにならない。私たちは弱く小さくて、どんなに頑張ってもできないことをいっぱい抱えている。しかし、そんな私を、神様が望んで生んだし、愛して育てたし、選んで、今日もここにこうして座らせて、語りかけてくださる。今日、ここにいるだけで、私のうちにすばらしいものがあって、私は素晴らしいことに使われている。そう信じるならば、もうカリスマ。すべての信者は、カリスマ信者でなければなりません。神様に選ばれていることを信じて、神様だけがちゃんと働いているということに目覚めて、あらゆる面倒なこと、弱っている人に向かい合えばいいのです。
でも逆に言えば、そういう神様を信じていたら楽ですよ。だって、自分の力で何かやっていたら、自分の責任になるじゃないですか。でも、神が選んで、神が使っているのなら、責任は神にあるんですよ。私に言わないでくれって話ですよ。その代り、神様に命じられたってことは絶対に信じ続けます。そうじゃないとあちらにどうぞって言えませんからね。私は、神様に召された神父なんです。ほかに余計なことを考えて、ふらふらすることも時々あるんですよ。でも、私はカリスマだと信じて生きているんだから、そんなことびくびくしててもしょうがない。明日を思い煩うなっていう宗教を信じたんだから、今日は寝よう(笑)。これがカリスマってことじゃないですか。だから、昨日も話したんです。何十年も前の仲良かった時代のことを思い出すのはもうやめて、ここから始めようよと。

アウグスチノ神父から流れてきた聖霊の働き

私の母親は、とっくに亡くなりましたけど、女学生の時代に札幌で洗礼を受けました。母は昭和6年生まれで、戦争中は苦労したようですが、戦後、映画とか見てね、教会にあこがれを持った。アメリカ映画などに教会が出てくるじゃないですか。それで、行ってみたいなと思って、最初にのぞいたところが札幌の丸山教会でした。そこに、アウグスチノ神父さんという宣教会の神父さんがいて、その神父さんにつかまっちゃったんですよ(笑)。母は、いっぱい教会があるから、色々のぞいて比較しようとして、最初に家の近くにある丸山教会をのぞいたら、アウグスチノ神父さんにつかまって、「毎週教会に来なさい」って命令されたので、恐くて通ったんです。やがて、「洗礼を受けなさい」って言われて、断れずに受けたんです。おかげさまで、私も幼児洗礼を受けて、やがて司祭になった。アウグスチノ神父さんのおかげということになりますね。
じゃあ、そのアウグスチノ神父さんはなんで日本に来たか。彼はオーストリアの生まれで、彼が高校生の時、学校に一人の宣教司祭がやってきて講演会をしたんです。今日みたいに。で、講演で何の話をしたか。世界中に救いを求めている人がいっぱいいる。ぜひ、神は愛だって伝えに行ってくれ。特に、日本という国がある。日本という国は、殉教者を出したけれど、キリスト教を禁止していた200年の歴史があって、まだまだキリスト教を知らない人がいっぱいいる。ぜひそこへ行って、2人でも3人でもいいから洗礼を授けてこないか。君たちの中でだれか行ってくれないか。そう話したんです。アウグスチノさんはそれを聞いて、よし僕が行こう、と思ったんです。やがて神学校に入り、オーストリアのどこかの教区司祭になった。それからアウグスチノ神父さんは、どうしても日本に送ってくださいと司教様に頼みに頼んだけれども、司教様はぜったいにうんと言わなかった。すごく説教がうまくて、若い人たちにも人気のある神父さんだったから、司教様も手放したくなかったんでしょう。
でもアウグスチノ神父は、どうしても日本に行って2人でも3人でも洗礼を授けたかった。それで、教区司祭をやめて、宣教会の修道会に入り直した。そこでまた勉強して、日本語を学んで、そして、ようやく日本に来られた。そして派遣されたのが、当時、新興住宅がどんどん広がっていた札幌。その郊外の丸山というところに、ここに教会を始めようと土地を買って、オーストリアに手紙を書きまくって、支援を得て教会を建てました。
そこで最初にミサをたてた時、どんなに感動したかと思うと私も胸がきゅんとしますよ。さあ、ここで2人でも3人でもと言っているところに、私の母が来たわけです(笑)。アウグスチノ神父さんは日本語が上手じゃなかったから、「毎週来なさい」。本当はもっと丁寧に言いたかったんですよね。私の想像では、「毎週来ていただけませんか、お待ちしています」ぐらいのことを言いたかったんでしょう。私、母からその話を聞いたとき、こう思ったんですね。そうか、私は最初から日本にいるし、もう日本語を勉強しているぞと。
アウグスチノ神父さん、私が跡を継ぎましょう。そんな気持ちもあったんですよ。
アウグスチノ神父さんは、洗礼、洗礼といって、何百人もに洗礼を授け、北海道教区の宣教史上燦然と輝く結果を残しているんですね。それは情熱があったからですよ。彼は、きれいな青い目をしていたらしいのですが、私の母が言っていました。あの目を見たら、この人は嘘をつかないと、そう思った。この人がそう言うんだったら、私はついて行こうと、そう思った。イエス様に会った人もみんなそうだったんじゃないですか。自分の小さな人生で、そうだこの人について行こうと本気で思って、それを信じられたらなんて幸いだろう。私の母は信じて洗礼を受け、わが子を教会のなかでたっぷりと育ててくれた。私も司祭として洗礼を授けたい。2人でも3人でも、前の教会では、6年間で500人以上に洗礼授けたんですよ。アウグスチノ神父さん、どうだ!(笑)
私がこうしてみなさんにお話しできるのも、アウグスチノ神父さんを通して、母を通して、私に流れてきた、聖なる霊の働きのよるものです。ですから私も、みなさんに情熱をもって呼びかけたい。カリスマな信者として、カリスマな司祭として、カリスマなシスターとして、一緒に働いて行こうぜと。そう呼びかけたら、よし私もとか、それならオレもとか、そう思ってくれる人が一人でもいてくれたら、ほんとにうれしい。もう遅い人たちには、わが子わが孫に、ぜひそのように伝えてほしいのです。

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