日本カトリック障害者連絡協議会・横浜全国大会 2018年10月20日・21日
於 聖光学院中学校高等学校(横浜市)
日本カトリック障害者連絡協議会(カ障連)は、カトリック教会の視覚、聴覚、身体、精神障害者等の団体の集まりです。「カ障連」としてつながりをもつようになって30余年、教会の障害者理解やサポート体制を推進してきました。現在では、聖堂入口のスロープも手話ミサも珍しくなくなりました。
さて、2016年7月26日に起こった相模原市津久井やまゆり園の事件は、「カ障連」にも大変悲しい衝撃となっていることを、会報誌『わ』で知りました。私も障害者の親として、そしてカトリック信者として、この事件の背景にある思想に反論があります。
重度障害者の施設「津久井やまゆり園」の元職員Uが、夜中に忍び込んで19名を殺害しました。Uに罪悪感は皆無でした。第二次世界大戦中、障害者を非生産的で税金をつかうだけの無用な存在として抹殺した、ヒットラーの「優生思想」と同様の考えからの犯行だったのです。
優生思想は、「神」不在の価値観に基づくものです。見えないものの価値を悟る能力に乏しく、イエス・キリストのおしえとは真逆のものです。
私は障害者の親になってから、学べたことも楽しいことも多く、毎日感謝してきました。養護学校にPTAなどで行くときは、重度重複障害児と会えるのが楽しみでした。無言のうちに私を歓待してくれる温かな眼差しは、「一人ひとりの中にキリストがおられる」ことを気づかせてくれました。彼らは何もできないように見えて、実は重要な役割を果たしているのです。
知的障害者を好意的に見ればすぐにわかることですが、彼らの多くが、人を嫌う、憎む、恨むなどの感情がなく、妬んだり誇ったりもしません。そして、確実に愛に応えてくれます。それは実に、Ⅰコリント13章の「愛の賛歌」そのものです。「福音」の生き方を示唆するその聖句を、難なく実践しているのです。
Uは重度障害者とかかわるうちに、何とかしてやろう、とか、何とかならないのか、と焦燥感にかられ、障害者のありのままを受け入れられなくなったのでしょう。神を信じない人は、「神は不必要なことはなさらない」ことなど知りませんから、障害者を遺伝子の段階で抹消する優生思想への“誘惑に陥る”のでしょう。それは福音と対極にあり、最終的にすべての人が不幸な結末に至ると思えてなりません。
「カ障連」は津久井やまゆり園の事件を受けて、「カ障連には福音を宣べ伝える使命がある」と声明を出しています。それは二千年前から課せられた私たち信徒の義務でもあります。
「カ障連」に共感し、応援したい方は、来る10月の全国大会に参加してみませんか ?