クリスマスの贈り物

ロザリオと私

T・さん

私が洗礼を受けたのは、16年前のクリスマスの夜でした。
まだ、古巣神父様が島原、雲仙教会にいらした時のことです。洗礼を授けて下さった古巣神父様から、プレゼントに「ロザリオ」をいただきました。はじめてロザリオを見たときの印象は、「カトリックにもこんな数珠のようなものがあるのかぁ」でした。祈りの言葉をきくと、「恵みあふれる聖マリア……」を50回唱えなさいということでした。そして思ったのは、「ひとりで50回もできるかぁ。長すぎるぅ…」でした。ただ、たまに島原教会に行くと、ミサの前に始まっていたロザリオのお祈りに途中参加して、それに混ざってやることぐらいはできました。ロザリオの珠を数えることもなく、ただ皆さんがやられているのについていくだけのお祈りでした。

そのころよく古巣神父様は、「一日に一回はロザリオば一環せろよ!」「一日に15分くらい神様のことば思うてロザリオばせろよ」とおっしゃっていました。また神父様は、ゆるしの秘跡で「あなたの罪をゆるします」と言った後、「ロザリオば一環唱えなさい」とおっしゃいました。そのため、告解部屋を出てすぐその場でロザリオを一環唱えてから帰りました。

そうやって神父様からいただいたロザリオを手に11年前に神奈川に移ってきたのですが、移って間もなくのことです。そのロザリオをどこかでなくしてしまったのです。そのときはどこを探しても見つからなかったため、大事なロザリオでしたが、泣く泣くあきらめました。「神父様、すみません。信仰もいいかげんやけん、せっかくもろおたロザリオやったばってん、なくしてしもうた……」。

そして、翌年の夏、雲仙に帰省してのこと、日曜日の教会で、あることが頭にうかびました。「そうだ、もう一度、神父様にロザリオばお願いしてみよう」。そう思ってミサの後、思い切って神父様にお願いしてみました。「神父様、ロザリオばなくしてしもうたけん、またくれんですか?」と言ってみました。すると神父様は、「お、よかぞ」と言って、黒いスータンの中から取り出して「ほらっ!」。なんの理由も聞くことなく、“気前よく”持っているロザリオをくださいました。まさか本当にくださるとは! それに全く咎めることもありませんでした。本当に申し訳ないような、ありがたい気持ちでいっぱいでした。

それからまた、神奈川に帰ってきて「ああ、今度はもうなくさんごと本当に大事にせんばいかん。そして毎日はできんでも週に2、3回はロザリオば一環唱えるようにします」と神様に誓いました。
今は、神父様にいただいたこのロザリオを、外出するときには必ず身に付けています。またそれが、どんな時でも自分に素晴らしい神様の道を教えてくれているように思います。

Recent articles

2度目のチャンス

 平塚教会にラテンアメリカ(南米)・コミュニティができるまでのお話を、マリア・モリシゲさんとグラシエラさんからうかがいました。なお、この原稿ではコミュニティの方達の呼び方にならって、コミュニティの名前を「ラテンアメリカ・ …

今、この瞬間について、「はい」 と応えよう

南米コミュニティから教会委員会に出席されている、副委員長のフェルナンド・モリシゲさんと、教会委員のジオバニ・ロマンさんに、南米コミュニティの活動についてお話をうかがいました。 コロナ前のような活気を取りもどしたい ジオバ …

キリストは復活された

新教会委員紹介 4月からの新委員は以下の方々です 新部会長紹介 地区長紹介 新6地区委員紹介 ●各部会による2023年度の活動目標  <典礼部会> 司祭とともに共同体として祈りを捧げることができる力を育てます。 …

受 肉

●受堅者の声 合同堅信式の会場で、堅信を受けた方たちに聞きました。堅信の準備をしているとき、何を思いましたか? 堅信を受けて、どう感じていますか? 平塚教会 N.Aさん(小学6年)、M.Aさん(小学4年)「今日、堅信式を …