クリスマスの贈り物

特集 教会との出合いは神様の贈物 Part 2

人はどのようにして教会と出合い、受洗へと導かれるのでしょうか。昨年のクリスマス号に引き続き、平塚教会の6人の信徒に、教会との出合いと受洗への道のりを語ってもらいました。クリスマスに初めて教会を訪れた方にも、お読みいただければ幸いです。

T・さん

洗礼を受けたのは中学一年でした。もともと父と兄がカトリック信者で、兄の勧めで姉と二人、カトリック初台教会に行くようになりました。
公教要理を学び、また当時の初台教会には広い庭があったので、青年会とよく遊びました。バザーやコンサートなどの行事も多く、とても楽しい場所でした。レデンプトール会司牧の教会ですから、神父様方の多くはカナダの方で、陽気で人なつっこい気質がとても親しみやすく、未信者の子どもたちも喜んで教会に来ました。

高校生になると兄に勧められて、レジオ・マリエのジュニア会員になりました。その兄・榎本忠人は、大学卒業後しばらく普通の社会人でしたが、三十代で聖職者への召命を受けました。活動修道会より観想修道会に向いている人でしたので、カルメル会に入会しました。ローマで叙階したときはまだ四十代前半でしたが、2年後に病気で亡くなりました。
父は非常に落胆しました。が、やがて、いつも神とともにいる気持ちになり、教会ともいっそう深いかかわり合いをもつようになりました。兄はその短い生涯で多くを残しました。『一粒の麦が死んで、多くの実をむすぶ』という神のご計画を、若いうちから託されていたのでしょう。

さて、私より4歳上の少年が、青年会に誘われて遊びにきていました。彼は大学生になってから受洗し、後に私と結婚することになりました。七十代になった現在は、クリスマスとイースターくらいしか教会に来ることができなくなりました。毎日、夜も遅くまで仕事や勉強でハードな毎日を送る人を、日曜日の朝、起こすことはいささか私にはできません。でも、私が教会とつながっていることで、信仰の心を絶やさない家庭にしたいと思っています。

年齢とともに、与えられる恵みや神様のご意向がよくわかるようになり、いつもともにいてくださることを感じています。幸せに思います。(談)


W・さん

私は秋田県能代市の出身で、大学を出た後、東京でブラブラしていました。両親が身を固めろというので、地元で見合いをしましたが、その相手がカトリック信者だったのです。私の母の親友にクリスチャンの方がいて、その方が見合い相手を紹介してくださいました。私はその相手を一目で気に入り、結婚の運びとなりました。
ただ、昭和40年代の東京と秋田は、今とは比べものにならないくらい交通が不便でしたから、私は結婚するまで婚約者と3回しか会えませんでした。3回目に会ったのは、秋田県の能代カトリック教会での結婚式でした。ですから、私がカトリック教会の聖堂に初めて足を踏み入れたのは、自分の結婚式の時だったということになります。

その後、叔父が平塚に住んでいたこともあって、新婚の私たちは平塚に越してきました。すぐに長女が誕生し、カトリック平塚教会で幼児洗礼を受けました。妻は乳飲み子を連れて、毎週日曜日に教会に通いますので、私も一緒に送り迎えをしていました。ただ、ミサの間は聖堂には入らず、外で時間をつぶしていました。

そんなある日、いつものように妻を待っている私のところに、主任司祭のオマホニー神父様がつかつかとやってきて、「どうして聖堂の中に入らないのか」と言われました。私は、「自分はキリスト教のことはよく知らないから」と答えました。それからというもの、神父様は毎週声をかけてくださるようになりました。

そのうちに神父様が、「土曜日に時間はあるか」と言われました。午後なら時間があると答えると、「それでは私と付き合わないか」と言われました。「あなたと同じような男性がいて、私は毎週土曜日にその家を訪問するから、あなたも一緒に行こう」とおっしゃるのです。それからというもの、私は神父様の後について、毎週その男性、S・・さん宅を訪問し、カトリックについてのお話を一緒に聞くことになりました。

曹洞宗の家に育った私にとって、神父様のお話にはわからないこともたくさんありましたが、なぜか1年間その家に通い続けました。そのうちに神父様が教会を替わられることになりました。神父様から、「転任前にいったん母国・オーストラリアに帰るので、その前に洗礼を受けないか」と言っていただきました。私のキリスト教への疑問は、まだ完全には解消していませんでしたが、ありがたく洗礼を受けさせていただきました。 以来45年間、ずっと平塚教会に通っています。(談)


Y・さん

私の生家は、ごく普通の日本家庭です。先祖代々の仏壇があり、神棚があり、キリスト教とはなんの関係もない家でした。あえて共通点をあげるならば、「良きサマリア人のたとえ」にあるような、生き倒れた方々を助けるという事をやっていたところでしょうか。

私は子どもの頃から絵を描くことが好きで、進路として画家の道を志していたときにクリスチャンの芸術家から薦められて、聖書を学ぶ目的で実家近くの教会に通いましたが、家族の反対や信者になる自信がなくて頓挫していました。その後、主人と結婚し二人の男の子に恵まれたある日、主人にアメリカ転勤の話が持ちあがりました。そして1991年、アメリカのケンタッキー州レキシントンに移りました。当初、右も左もわからず生活に慣れずにいた時、友達から近くの教会に「フレンドシッププログラム」といって、国や民族、宗教を問わずに集まる所があると誘われてそこに通うようになりました。そこの教会には、日本語礼拝も併設されていて、日本企業の家族、留学生、神学生、アメリカ人等いろいろな方々が集まっていました。私はその中で1993年にプロテスタントとして洗礼を受けました。

当時、アメリカの教会がそんなに熱心に国際交流をやっていた背景には、マザー・テレサの影響があったと思います。心臓を患っていたマザー・テレサは、その治療のため、たびたびアメリカを訪れていました。そのマザーのもとに大勢の著名人がかけつけていました。その中に故ダイアナ元妃の姿もありました。マザー・テレサのように貧困層から富裕層に到るまであらゆる各層に影響を与えていた方も珍しい。また欧米諸国とアジアの架け橋となって、キリスト教界全体に影響をおよぼしていたと思います。

やがて日本への帰国が決まって、その前に念願だったイタリア旅行に行くことになりました。旅行先のひとつ、アッシジの聖フランシスコ教会の広場に立って、白い壁、緑のオリーブ畑、青い空を見上げたときに、とても開放的な気分になりました。その頃キリスト教の「あれダメ」「これダメ」といった戒律に少し軋轢を感じていました。その時キリストという命綱をつけて大空を自由に飛びたいと強く願いました。

その後、それまでの経験と自分の思いを鑑みて、1997年にカトリックに改宗致しました。いまでも、心に日々起きる障壁をとり除くことに邁進していきたいと思っています。


T・さん

私は定年退職後、何がしかの精神的なよりどころが必要であると考えて、2009年に洗礼を受けました。多少態度は大きいですが6年生の新参者です。
現役時代は、欧米への海外出張が多く、泊まったどのホテルにも聖書が備えられていることに驚き、更に、そこで出会ったほとんどの方は、聞き上手、褒め上手で、静かで紳士的でありました。この背景には、漠然とキリスト教があるのだろうと思い、欧米文化にある種の畏敬、憧れを抱いていました。
現役時代には、経済的にはある程度の報酬があり、社会的にも貢献しているという自負心がありました。しかし、年金生活となるとこの自負心は全く意味のないものとなってしまい、「何がしかの心の準備」が必要であると思いました。

私の義父母は平塚カトリック教会の信者でありましたが、義父は2007年に92歳で亡くなり、このとき神父様はじめ多くの方々の、半端でない献身的な奉仕に非常に感銘を受けました。その後、残された義母は、高齢で足も不自由であったため、日曜日のミサの送迎を行うようになり、この間、教会ミサを拝聴するようになり、信者の方々とも親しくなって、2009年に妻と一緒に洗礼を受けました。
このような状況で、洗礼を受けた直接的な理由は、ただ一言「人間は弱い者であることを認めなさい」という神父様のお言葉でした。それからは、神父様から神の恵みについて指導をいただいています。

(追記)
今年(2015年)、義母が95歳で帰天しましたが、このときも皆様から惜しみない奉仕を受けました。この誌上を借りてお礼申し上げます。


M・さん

最初にこの原稿を依頼された時、私が大いに困惑した事実を正直に記さなければなりません。なぜかと申しますと、受洗に至った経緯について語ることは、不可能であると思われたからです。「私の計画になかったことが、神様の計画にはありました」とは、聖女十字架のテレジア・ベネディクタの言葉ですが、洗礼に限らず全ての秘跡というのは、人間の言葉では語り得ないのではないでしょうか。ですから私の話は“これで終わり”にしたいところではありますが、受洗の日付やらその前後に起きた出来事やらを時系列的に認めることが求められていると思いますので、若干の事実関係を申し述べます。

2009年4月11日、平塚教会にてテハン神父様から洗礼を授けていただいた私が、初めて神父様とお会いしたのは、その年の3月17日のことでした(その日は平塚教会の守護聖人パトリックの祝日ですので、きっと聖人は私のことを見守っていて下さったのでしょう)。

私がキリスト教を学ぶ際、ラテン教父よりもギリシャ教父から学ぶところが大でしたので、カトリック信者の母は、私が“正教会の信者になる”と予測していたのですが……。いま思い返してみると、自身の所属宗派や受洗日、洗礼を授けていただく神父様、さらには代父母様のことや洗礼名に至るまで、全て神様があらかじめセッティングして下さったのではないかと感じられてなりません。私の母方の祖父は今から60年以上前、コロンバン会の神父様が夕陽ヶ丘の地に聖堂を建設される際にその事業に携わる光栄に浴しましたが、神様のお計画は既にその時から始まっていたのではないかと思われるのです。

最後に旧約聖書の聖句を私の話の結びとして終わりに致します。
「何事にも時があり、天の下の出来事には全て定められた時がある」(コヘレトの言葉3・1)
「人の心には多くの計画がある。しかしただ主の御旨のみが実現する」(箴言19・21)


M・さん

私は子どもの頃から、平塚の高浜台に住んでいました。小学校5・6年の頃、平塚教会を、塾帰りのバスの窓からぼんやりと見ていたことを覚えています。中に入ってみたいとも思いましたが、両親は真宗大谷派なので、私には無縁の場所だとあきらめていました。

社会人になって東京に住むようになり、休日に四谷で食事をすることがよくありました。そこにもイグナチオ教会があって、中に入ってみたかったのですが、未信者は入れないのだろうと思っていました。

30歳になったとき、何か新しいことをしようと思いました。そこで、前から興味のあったカトリック教会の門を、勇気を出して叩いてみることにしました。それで、住まいの近くのカトリック高円寺教会に向かいました。

教会の中は、社会の喧騒から離れた、別世界のような空間でした。案内役の人に声をかけると、その人がミサのあずかり方を教えてくれました。初めてミサに出ている時、私は神様に導かれているように感じました。

当時、私はホテルマンだったので、日曜日にはなかなか休みが取れませんでした。それでも、神様とちゃんと出会わなければと思って、できるだけ教会に通いました。入門講座や、信者のためのカトリック講座にも、できる限り出席しました。

そうして1年近くが過ぎました。そのころ私は、社会の様々なことに嫌気がさしていて、精神的にかなり煮詰まっていました。心療内科に行くよりも、まずは神父様に相談すべきだと思って司祭館を訪ねると、そこに、ちょうど休暇が明けてパリから戻ってこられた晴佐久昌英神父様がいらっしゃいました。神父様のもとに2回ほど通うと、気分はスッキリしました。

ある日、神父様から、土曜日に交流会をやっているから参加しないかと誘われました。そこに集まっている人たちは、みなとてもフレンドリーで、受洗してこの人たちの仲間に加わりたいという気持ちになりました。

2009年の復活徹夜祭に、私は高円寺教会で洗礼を、同年7月に堅信を受けました。その後、2010年に平塚に戻ってきて、平塚教会に通わせていただくようになりました。小学生の頃にバスの中からぼんやりと見ていた教会が、20数年後に自分の所属教会になるとは、夢にも思いませんでした。(談)

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