特集 世界遺産推薦記念 五島列島教会巡り
今年1月、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が、ユネスコの世界遺産に推薦されました。9月の現地調査を経て、来年6月には、世界遺産登録の可否が決定します。その中に、五島列島の教会や集落跡が4ヵ所含まれています。いつかは行ってみたい五島の教会。行くなら世界遺産になって混み合う前がいいかもしれません。そこで今号では、平塚教会にいらっしゃる五島出身者と、五島の旅経験者の皆さんの思い出をもとに、平塚教会版「五島の旅」を特集してみました。
今年1月、「長崎の教会群とキリスト教関連遺産」が、ユネスコの世界遺産に推薦されました。9月の現地調査を経て、来年6月には、世界遺産登録の可否が決定します。その中に、五島列島の教会や集落跡が4ヵ所含まれています。いつかは行ってみたい五島の教会。行くなら世界遺産になって混み合う前がいいかもしれません。そこで今号では、平塚教会にいらっしゃる五島出身者と、五島の旅経験者の皆さんの思い出をもとに、平塚教会版「五島の旅」を特集してみました。
初日は羽田空港から飛行機で長崎空港へ。そこから空港連絡バスで佐世保港へ、そこからフェリーで上五島の中通島・有川港に到着します。まずは車をチャーターして(レンタカーかタクシーを予約)、島の北東にある「頭ヶ島教会」に向かいましょう。西日本唯一の総石造りの教会。信徒たちが島の砂岩を切り出してコツコツ積み、10年以上の歳月を費やしてようやく完成した教会です。頭ヶ島教会
次に、いったん有川港へ戻って、「鯛ノ浦教会」の旧聖堂へ。明治36年に完成した木造瓦葺きの建物で、レンガ造りの鐘塔には浦上天主堂の被爆レンガが使われています。旧聖堂は現在、図書館として使われています。鯛ノ浦教会
ここから北に突き出した岬に向かいます。丘の上に建つ「丸尾教会」を経て、レンガ造りの「青砂ヶ浦教会」へ。海岸から小高い建設地まで、信徒たちが老若男女を問わずレンガを背負って労働奉仕して、出来上がった教会です。
「曽根教会」「小瀬良教会」を経て「江袋教会」へ。この教会は、五島に残る最古の木造教会でしたが、2007年に惜しくも消失し、その後2010年に修復が完了しました。
岬をさらに北上すると、「仲知教会」「米山教会」を経て、岬の先端にある津和崎灯台まで足を伸ばすこともできますが、先を急ぐ人は引き返して「冷水教会」に向かいましょう。この教会は、長崎の教会建築の第一人者である鉄川与助が最初に設計施工した木造の教会です。「冷水教会」の近くには、信徒の方が経営する民宿がありますから、そこに宿泊してもいいでしょう。
ここからは島を南下していきます。「青方教会」を経て「大會教会」にも寄りましょう。ドーム型の3層の鐘楼、花柄のステンドグラス、半円のアーチ窓など、ロマネスク様式を随所に取り入れた、レンガ造りの教会です。
さらに南下すると、「跡次教会」「真手ノ浦教会」を経て、「中ノ浦教会」に到着します。「中ノ浦教会」は、入江に建つ教会で、海に映る姿が美しいことから「水鏡の教会」と呼ばれています。内部の白壁には、五島特産の椿の花のような装飾が印象的です。中ノ浦教会
さらに南下すると奈良尾港を過ぎ、「福見教会」に到着します。五島灘に面した赤レンガの教会です。ほぼ全員がカトリック信者という福見地区には、朝夕、教会の鐘が鳴り響きます。
中通島の奈良尾港からジェットフォイル(高速船)で、福江島の福江港へ。福江島を時計の反対回りに巡っていきます。ここでも、レンタカーかタクシーが便利です。
「福江教会」、「浦頭教会」を経て「堂崎天主堂」へ。船でミサに訪れる信徒のために海に向かって建てられたレンガ造りの天主堂は、現在はキリシタンの受難の歴史を語る資料館となっています。
そこから西へ「宮原教会」を経て「楠原教会」へ。イギリス積のレンガ造りの男性的な力強い聖堂で、山の中の殉教地に建てられた芯の強さが感じられます。男性的な「楠原教会」と対照的に、海辺に白いレースをまとったように佇む「水の浦教会」は、「貴婦人のような教会」と言われています。現存する木造教会としては、わが国最大規模です。この辺りにも信者の方が経営する民宿がありますので、宿泊してもいいでしょう。水の浦教会
福江島をさらに西に進んで、「打折教会」から「貝塚教会」へ。木造、瓦葺の聖堂に入ると、ステンドグラスから差し込む柔らかな光が迎えてくれます。教会からほど近い高浜海水浴場は、日本一美しいビーチと言われているので、ひと休みするのもいいでしょう。
時間に余裕があれば、島の南西端まで足を伸ばしてみましょう。日本最古のルルドがある「井持浦教会」や「玉之浦教会」があります。東シナ海に突出した断崖の突端にある大瀬崎灯台の眺めも絶景です。
帰りは、島をぐるりと回って福江港へ。ここからジェットフォイルで長崎港へ。長崎空港から飛行機で羽田港へと帰り着きます。
新上五島町には、小さな島ながら29もの教会があります。いずれも先人たちが労苦を惜しまず働き、幾多の迫害にも耐え、困難の上に築き、造り上げた教会ばかりです。
私が通っていたのは、青砂ヶ浦小教区の「冷水教会」(巡回)です。二つの教会は互いに向かい合い、奈摩港を包み込むかのように海を行き来するすべての人々の無事、安全を見守ってくださるかのように建っています。
私は昭和31年、カトリック教徒の子として生まれ、洗礼、初聖体、堅信の秘蹟を「青砂ヶ浦教会」にて授けていただきました。小学校低学年の頃は、教え方さんによる基本のお祈りの勉強、5年生の頃には「公教要理」と、学校の勉強よりも要理の方を重視していたといっても過言ではありませんでした。要理の勉強では、内容を半分程度理解しながらも、ほとんど丸暗記した、というのが正直なところです。その時代は交通事情に乏しく、黙想会のために行くには、渡海船に乗って通いました。黙想会は夏休みの時で、時間ははっきりと覚えていないのですが、朝8時頃から夕方4時5時まで、朝の祈り、ロザリオ、説教、聖歌の練習等とスケジュールが組まれており、1週間も続きました。当時、五島の教会は椅子式ではなく、板張りでしたので、正座で1週間はとても苦痛でした。(現在は椅子式です)
次に堅信の時ですが、劣等生の私には堅信も容易なことではありませんでした。ほぼ暗記状態なので、問われた時少しつまずくと後が続かず、お慈悲で合格させてもらったようなものです。人生には時としてさまざまな苦悩が訪れることがあります。しかし、神様はこんな出来の悪い私をも、限りない愛で信仰の道へと導いてくださったのだと信じ、今日を精一杯生きて行こうと思っています。
話が前後してしまいますが、神父様について。青砂ヶ浦教会の主任神父様は、福江の三井楽出身(現在は五島市)の竹山神父様でした。神経質でとても怖いイメージの方でしたが、20年もの長きにわたり、青砂ヶ浦・冷水、その他近隣の教会で忙しく働いてくださった神父様です。その神父様も、今は神様のもとへ召され、すべては懐かしい思い出となりますが、私の中では一番心に残る神父様でした。青砂ヶ浦教会
島に生まれ育ちながら、数えてみたら10ヶ所くらいの教会しか行ったことがないのです。恥ずかしい話です。歴史を感じさせるどっしりとした赤レンガのゴシック様式の青砂ヶ浦教会。27歳の若者が最初に設計施工し建てられた冷水教会。海と平行に建つ石造りの頭ヶ島教会。ステンドグラスを用いモダンな造りの仲知教会。いろんな造りの教会が29もある新上五島町の教会と下五島の教会へ、是非いらしてみてはいかがでしょうか。人もいいし、お魚もおいしいですよ。
故郷の教会の事等を、想いつくままに少し書いてみたいと思います。
私が小学生のころ過ごした教会は、長崎・五島列島の水の浦教会です。楠原・打折・繁敷と巡回教会3つを合わせると大所帯、神父様一人で走り回っていました。水の浦教会裏の小高い丘に教会墓地があり、そこからの眺めは格別で、碧い海と入り江に配された島々は教会群遺産にふさわしい光景だと思います。また水の浦と楠原教会の間には城山があり、徒歩で1時間、なかには馬で行き来した神父様がいました。楠原教会
繁敷教会の信徒などは朝4時起きで日曜日のミサに与かっていたのを思い出します。今では車で30分、100年前の信徒が見たら何と思うでしょうか?
私たち家族は昭和19年終戦間近に集団疎開を機に、神戸から父の故郷である五島列島・福江島に家族一同疎開して来ました。その後、昭和20年5月23日に父親が戦死、やむなく五島列島に永住する事になりました。その時、父親の代役をしてくれたのが祖母シ・・でした。
祖母シ・・は五島全土のキリシタンを取り締まっていた家老、俵慶馬とタカの間に生まれました。水の浦出身のタカは既婚者で幼い娘がいたにも関わらず、強引に正妻として屋敷に連れ去られ四男三女を産みました。祖母シ・・はその最後の双子の女の子だったので、「間引き」という嬰児殺しを命じられました。その時、思い出したのが郷里の水の浦、すぐさま腰巻にくるみ足軽に命じ水の浦の山川家に送り届けられました。そこで成長したのが祖母シ・・でした。半農、半漁の貧しい生活でしたが、キリシタンの娘として全てを吸収して成長していきました。
その後、水・・と結婚し4人の子供に恵まれました。これからの時代、子供達のために学問が必要だと感じ家族で大阪に出て来ました。長男政・・はマリア会経営の大阪明星学園・東京目黒無線学校を卒業し、外国航路の船乗りを選びました。船に乗った後も、港に着くとその土地の教会を訪問していたようです。また朝夕の祈りは欠かさず、家族の霊名日に祈り、心の交流を大事にしていたようです。
これらの事を考え併せると、キリシタンと迫害者のDNAを持った孫の家庭から二人の聖職に携わる者が出たのも、神のはからいの中に有った事だと不思議に思えます。
姉、テレジア・シスターはお告げのマリア修道会に入会(中学より)、2005年聖地巡礼の途中フランスにて帰天、修道生活46年間。享年70歳。
弟、神父はコンベンツアル聖フランシスコ会司祭、上智大新聞学科卒、カトリック東京中央協議会、イタリア・アッシジ本部、聖母の騎士社、カトリック仁川教会主任司祭として現在に至る。(父の30回忌に身内に配った水・・の航海日記より)
風に誘われて五島列島を旅したのは、自分の中では昨年と思いこんでいましたが、記録を見ると、もう3年も前のことでした。
羽田から福岡、福岡から福江空港に着いたのは、日没直前でした。福江島でのたった3日間の旅でしたが、心にたくさんのお土産をいただきました。前もっての下準備がなかったので、タクシーにお任せの教会巡りでした。
滞在してわかったことは、フロント係も仲居さんも、なんと運転手までもが、すべてカトリック信者だったのです。初対面ではありましたが、兄弟姉妹という言葉が、この瞬間、すっと入ってきました。一見、不愛想な運転手さんが最初に案内してくれたのが『堂崎天主堂』でした。海に面した静かな教会の中には、迫害時の遺物、踏絵などが展示されていて、当時の厳しい状況を訴えているかのようでした。が、それらを温かく包み込んでいるステンドグラスの輝きがそこにありました。
その後いくつか小さな教会を巡って、最後に訪れたのが『井持浦教会』でした。敷地内にルルドの泉が造られ、ルルドのマリア様と本場の霊水を洞窟の泉水に注ぎいれたと伝えられていて、運転手さんがポリタンクに泉水を汲んでいるので、「どうするのですか?」と尋ねたら、「今、兄が病気なので・・・」と言われたので、とっさに心の中で彼の回復を祈りました。井持浦教会
翌日は福江の街を散策しました。五島家のお屋敷でお庭掃除をしていた気品のある女性が、五島椿の説明をしてくださいました。花びらが白く、中が赤い椿が庭一面に咲き誇っていました。
その後、お目当ての珊瑚屋さんを探しましたが閉まっていました。
人々とあまり出会うことなく、街全体がまるで一つの教会のような静けさにあり、癒しに満ちた五島の旅でした。
2008年夏に、神父様を含めた4人で、3泊4日で五島の教会巡りをしました。五島の旅というとまず思い出すのは、五輪教会の信徒の方にいただいた椿のお饅頭のことです。五輪教会は、福江島から船で渡った久賀島の辺鄙な海岸沿いにあり、世界遺産の候補にも入っている旧五輪教会はその隣にあります。教会で神父様がミサをあげると、教会の隣にお住いの信徒の方が、お礼にと言って朝食に招いてくれました。天ぷら、刺身、マスクメロンと、朝から豪華なおもてなしをいただいた後、お土産にと言ってピンク色の椿をイメージしたお饅頭を二折いただきました。そのうち一折は、本当はガイドをしてくださった方の分だったのですが、神父様が間違えて、二折ともいただいてしまったのです。教会を後にして、私たちは久賀島を巡りましたが、驚いたことに島には自販機もコンビニもありません。結局私たちは、その日の夕方まで、二折16個の椿饅頭で、飢えをしのいだのでした。
五輪教会は信徒の数が少なく、ごミサも月に1度、月末の日曜日のみで、私たちが月初めの日曜日に伺ったので、2週間連続のごミサに信徒の皆さんはとても喜んで遠くから通ってくださいました。豪華なおもてなしには、本当にミサへの感謝が込められていたのだと思います。心の温かい方々で、こちらが恥じ入るほど喜んでくださったのを思い出します。
長崎港からジェットフォイルで85分、フェリーで3時間半、下五島、福江島をレンタカーを借りて、14の教会を巡りました。水の浦教会近くの民宿に一泊、信者の家庭でした。その民宿の家庭祭壇の写真です。
その日は水曜日でした。水の浦教会の御ミサは、朝5時40分との事、早起きして出かけました。20人程の人が、ミサ前の祈りを声を揃えて唱えていました。長崎の層の厚さ、深さに圧倒される旅でした。
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