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特集 一粒会と司祭召命について

 2023年10月9日(祝)、鎌倉市の清泉小学校で、第55回横浜教区一粒会(いちりゅうかい)大会が開催されます。大会のスローガンは、『私たちのうちから司祭を召し出してください』です。一粒会、そしてスローガンにかかげられた召命について、雪ノ下教会と由比ガ浜教会の主任司祭の古川勉神父様からお話をうかがいました。古川神父様は、横浜教区の一粒会総指導司祭、神学生養成担当委員などを務めておられます。

企業に就職してから司祭になった私

 まず、“召命”という言葉の意味からお話ししましょう。召命という言葉は、一般的には「召し出される命。神から承ったご指示、命令を生きる」と定義されます。でも、私の言葉でお話しすると、「みなさまが招かれた状況で、神のみ旨をそれぞれ、ふさわしく応じて生きてください」という意味になります。
 少し前の時代まで、召命というと、司祭や修道者になることの代名詞のように使われてきました。でも現代では、そういった意味に加えて、だれでもそれぞれの仕事や家庭、地域、社会や人間関係の中で、キリストのみ旨、望みの
方向に向かって走って行くことが、それぞれの“召命”を生きることだという言い方ができると思います。
 私自身の話をしましょう。私の出身教会は、横浜市にあるカトリック戸部教会です。私が大学に在学中、つまり40年少し前の話ですが、当時は今に比べて教会に青少年が多い時代でした。教会に通って聖書を読み、青年会などで色々な活動をしているうちに、私の中に“司祭になりたい”という気持ちが芽生えてきました。大学を卒業する時には、その気持ちははっきりしたものになっていました。
 それで、卒業と同時に司祭の道を目指して神学校に行くことも考えましたが、そのころから次第に、私の目は角膜の病気で悪くなってきていたのです。もしかしたら、私の司祭になりたいという気持ちは、目が悪いという現実からの逃避かもしれないという疑いも芽生えてきて、自問自答しているうちに自分の中で自信がなくなってきました。
 その時は、もし現実から逃げて司祭になろうとするなら、それはやめた方がいいのではないかと考えて、電子装置開発会社の電子回路設計部の技術者として就職しました。就職するにあたっては、3年間は勤めてみて、それでもまだ司祭になりたいと思うのであればなってもいいかと考えました。社会人としてやっていける自信が得られれば、きちんと司祭を務めることもできるだろうと考えたのです。
 就職してはじめの1年間は、研修につぐ研修や、徹夜や残業などの連続で、多忙な日々が続きました。それでも、懸念していた目のおとろえには問題がなく、身体的には十分に仕事を続けられることを感じました。身体的な自信がついたことで、なりたい道に進んでもいいのではないのかと、むしろ、すぐにでも司祭への道に入りたいと思うようになりました。それで、会社には大変申し訳ないと思いながらも、1年間で会社を辞めて神学校に入りました。
 その後、31歳で司祭に叙階されました。叙階後は、カトリック菊名教会助任司祭をはじまりに、山手教会、由比ガ浜教会、中原、鹿島田、溝ノ口教会の3教会の主任司祭、そして横浜教区事務局長を経て、2014年より雪ノ下教会、由比ガ浜教会で主任司祭を務めています。
 雪ノ下教会に異動し、早くも今年で10年目をむかえます。司祭としてこうして歩んできて感じることは、「キリストを目指し、共に学び、教え、考え、この現状の中でキリストと共に働きたいと思う時、とりあえず、より良い形、より良いポジションで望みを実現するためのひとつに、司祭職がある」ということです。
 これから、教会がどういう形に変わっていくか分かりませんが、いつの時代でも、教会がどんな構造、形態になろうとも、司祭はイエス・キリストの意向、考え、思いを深く探求し、受けとめながら営んでいかなければならない仕事です。もちろん自分は充分できているなどとは言えませんが、そうした課題のうちに生きる司祭職に、もう一度生まれ変わっても、そうした仕事に就ければと思っています。
これから新しく司祭になられる方や、なりたいと思っている方には、現代社会における様々な分野、現場、状況においてイエス・キリストの意向や方向性を、より正しくつかみ、それを世の中に浸透させ、少しでも理解を深めたいという意欲を持ってもらいたいと思います。その時、カトリック司祭であることは大きな力になると申し上げたいです。司祭という立場は、教会の中でひとつの結果を生み出していくために、有効な手段になると思います。
 この34年間、司祭を続けてきて、共に聖書を読み、キリストの思いを実現させていこうとする時、司祭という立場からアプローチできたことは、自分にとっても、とても有益だったと思っています。ですから、色々な方に司祭になることを考えていただければと思いますし、よい神父になってほしいと願っています。

コロナ禍で厳しさを増している


司祭の養成

 一粒会についてもお話ししましょう。まず財政面においては、どこの教会も同じだと思いますが、月定献金その他が全体的に減っている中で、一粒会の献金も同じように減ってきています。
 特に2020年からコロナ禍に入り、教区全体の一粒会会計において1年間で500万円の収入減がありました。その結果、財政面で厳しい状況に追いこまれています。おかげさまで、現在、資金繰りはできていますが、このまま行くと、一粒会に限らず、司祭給与その他の支出も厳しい状況にはなると予想されます。
 コロナが明けて、これから少しずつ期待したいところではありますが、いわゆるコロナ前の状況にV字回復することは難しいかと思います。そうなると、一粒会も今後のことを考えていかなければなりません。
 司祭の数については、みなさまのお祈りのおかげで、現在、横浜教区からは、5名の神学生が神学校に在籍しています。このことは、神学生の養成が難しい状況の中にあるほかの教区や修道会に比べて、恵まれていると思います。これから先、横浜教区や東京、大阪といった大きな教区から、小さな教区に援助を行う必要がますます増えてくることかと思います。
 司祭数に関してさらに言いますと、1999年までは、横浜教区の司祭数はチャプレン(団体つき司祭)、修道会、宣教会など、全部ふくめて160名近くが在籍していました。それが昨年の合計では、総勢90名になりました。つまり、ここ20年ちょっとで3分の2以下になっているというのが現状です。
 教会数は、いくつか統廃合された教会もありますが、それほど減ってはいません。そういう中で司祭数が減少すると、現代の制度の中では、司祭不在という状況は教会の活動を難しくしていきます。
 教会の活動を続けていくためには、神学生の養成から建物の維持や司祭給与までも考えなくてはなりません。カトリック教会では、今のところ、司祭がいて色々なことが動き出すことが多いので、やはりもう少し司祭職が増えることが望まれるかと思います。
 みなさまのお祈りと献金を、引き続きお願いできればと思います。


●一粒会(いちりゅうかい)とは

横浜教区一粒会は、1942年(昭和17年)に創立されました。司祭の召命と成聖のために祈りと犠牲を捧げ、神学生養成のために経済的援助をすることを目的としている信徒の会です。
「一粒」の意味は、司祭の召命が私たちひとりひとりの毎日の祈りと小さな犠牲、献金などによって実を結ぶことを表しています。
一人の司祭が誕生するためには、最低7年間(志願期1年、哲学課程2年、神学課程4年)の養成課程が必要です。この養成のため、神学生の学費、生活費、神学院の維持費などすべては、この一粒会会員の献金で賄われます。
現在の会員数は、横浜教区一粒会会員6,184名(2000年に比べ2,300名減少)、平塚教会一粒会会員42名(2013年は96名)です。
皆様のお祈りと尊い献金が、豊かな実りをもたらすものとなりますように!
『召命は、教会で生まれ、教会で育ち、教会で支えられます』教皇フランシスコ



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