特集2 ライフスタイル転換に向けた実践例
教会報では、前号で上智大学の吉川まみ教授の著書『ライフスタイルの転換に向けて、ともなる歩みを』(女子パウロ会)の誌上読書会をお届けしました。今号ではそれを引き継いで、ライフスタイルの転換に向けた実践例を紹介します。
1.『ラウダート・シ』は教皇フランシスコがあなたに書いた手紙です
『ライフスタイルの転換に向けて、ともなる歩みを』の著者は、「カトリック新聞」の連載(2023年6月18日号〜)の冒頭で、“THE LETTER”(手紙)というドキュメンタリー映画を紹介しながら、「手紙」は教皇様から私たち一人一人に宛てたものであることを伝えています。この新聞連載では、「ライフスタイルの転換」へのエコ実践のさまざまな取り組みが紹介されています。それらは、私たちの日々の暮らしを今よりもさらに信仰の光で照らし、その視座から新たに出発することが緊急の課題なのだと励まし背中を押してくれるのです。
「大量生産・大量消費・大量廃棄」の構造への気付きから、「エシカル消費」(倫理的・道徳的消費)への確かな歩みへ。私たちは「無自覚のふるまい」によっていかに地球という共通の家を傷つけてきたかを振りかえり、少しでも発展途上国の人々に負担をかけない選びをしながら、生活に必要なもの一切を吟味し、選択することから出発しなければなりません。そして「エシカル消費」へ向けて、「地域の活性化や雇用などを含む人、社会、地域、環境に配慮した消費行動」(カトリック新聞2024年2月4日号)の意識を深めていきます。「物を買うことは、つねに道徳的な行為であって単なる経済的な行為ではない」(教皇ベネディクト16世)という道標は、常に私たちにとって大切な日常の選びとなります。
高度経済成長期を生きてきた私たちにとって、公害や環境汚染などは知っていたはず。しかし行動に移すのは別問題と著者が指摘される通りなのです。ファストファッション、食品ロス、洗剤、化粧品、プラスチック製品などの消費や廃棄によって、二酸化炭素排出、温暖化、さらに海洋汚染へというプロセスをたどる地球の現況と悲鳴を受け止める時、「ゴミを出さない」ことにとどまらず、まず今、私が手にしているこれはどこから来て、何処へ向かうのかを考えなければなりません。目の前のゴミがなくなることだけではなく、これら捨てられたものたちの廃棄先や処理も私たちの課題です。
そこで「ゼロ・ウェイスト上勝」のエコ実践に眼が止まります。徳島県勝浦郡上勝町での「“そもそも、ゴミを出さない”社会を目指して、消費者・事業者・行政の連携の取り組み」=「ローカルSDGsモデル都市宣言」です。著者はこの宣言から20年を経た実践を取材し、「カトリック新聞」(2023年12月17日号)でも紹介しました。
日々の実践の原点は、「まず家庭の中で、いのちに対する愛と敬意の示し方を学び、また物を適切に利用すること、整頓することと清潔にすること、地域の生態系を尊重すること、すべての被造物を気遣うことを教わります」(ラウダート・シ213)。私たちはささやかな「一滴」でありながら、「万物のすばらしい交わりである宇宙の中で、他のものとともにはぐくまれるのだということを、愛をもって自覚する」(ラウダート・シ220)存在でもあることを、あらためて心に据えながら、「ライフスタイルの転換」へさらなる一歩を踏み出したいと思います。(T・Y記)
2.NPO法人kiitos(青少年の居場所)
「ライフスタイルの転換」には、“いつくしみのわざ”を実践することも含まれます。その具体例として、居場所を求めている子どもや若者のために、いつでも自由に利用できるスペースを開放している、白旗眞生さんから話を聞きました。白旗さんは、東京都調布市で、中学生から20代までならだれでも利用できる施設Kiitos(キートス)の代表を務めておられます。
「今から14年前にkiitosを設立した時には、よく周りの方々から、『居場所って何をするところですか?』と聞かれました。その時は明確なお答えはできませんでしたが、設立して6〜7年経ってから、『居場所』という言葉が世間で取り沙汰されるようになりました。子どもたちには食事も大切なのですが、やっぱり『ここに安心して居ていいよ』という場所がなければならないのです。
Kiitosには、大切にしている4つの柱があります。①居場所の提供、②食事の提供、③学習支援、④生活支援です。この中で特に重要なのが、子どもたちに『居場所』を提供することです。Kiitosにやってくる子どもたちの問題は常にひっ迫しています。いわゆる機能不全家族にまつわることが、彼らにつきまとうのです。その問題を、知恵やお金で回避ができればいいのでしょうが、限られた環境の中で関われる人数にも限りがあるのが現実です。私たちは、親代わりとして彼らに寄り添って向き合い、心温まる人としての生きる力を提供することに努力しています。子どもたちにその想いが伝わっていたら、幸いだと思います。
機能不全家族の中で育ってきた子どもたちの生き方を修正するのは、とても難しいことです。でも、その修正感情体験が、成長する力、生きる力を生み出すと思います。子どもたちの、世の中や人に対する不信や恐れを緩和し、自己肯定感と生きる力を得られるようにすることが、社会参加につながると思って活動しています。
私が死んだあと、なぜ私がこういう活動をしていたのかと、子どもたちが疑問に思い始めるところから、神様への信仰につながってくれればと願っています。私がkiitosを始めたのは、一言で言えば、『子どもたちに差があっていいのか?』という啓示を受けたからです。私が神様の恵みを受けて生きてきた人生の中で、お裾分けができたならとの思いが、kiitosの活動につながっているのです」(A・S記)
3.NPO法人kiitos(青少年の居場所)「湘南タゲリ米」の挑戦
お隣の茅ヶ崎市にもユニークな取り組みがあります。市民団体「三翠会」による「湘南タゲリ米」の活動です。
活動のきっかけは、2000年に三翠会を立ち上げたメンバーのひとり樋口公平さんが、趣味のバードウォッチングで毎年鑑賞していた「タゲリ」という渡り鳥が、年々減少していることに気づいたことでした。その理由を調べて
みると、タゲリが好む平野部にひらけた湿田が、開発によって年々減少したり、農家が米づくりを継続できなくなったりすることが原因だとわかりました。
そこで、タゲリを守るために農家の米作りを支え、お米市場を活性化させることが必要であると考えた樋口さんが始めたのが、「生き物ブランド米」(生物多様性保全に配慮した米)の方法でした。
三翠会が協力農家を募り、タゲリが飛来する田んぼの米を農協よりも高く買い上げ、「湘南タゲリ米」として付加価値をつけて三翠会の会員に販売します。このプロセスで、三翠会はボランティアを募り、共同作業が必要な農家を支援しつつ、顧客に対しては「タゲリ」の鑑賞会に招待するなど、それぞれの立場の人々にとってタゲリ米にかかわる誇りと意味を意識化する工夫もしています。
さらに、お米の消費量を拡大するために、地元の造り酒屋の協力を得て「タゲリ焼酎」をつくって販売したり、地元の居酒屋のメニューに加えてもらったり、米粉のスイーツのレシピ開発をしたりするなど、さまざまなプロジェクトも始めました。
また、田植え体験などで近隣の小学生たちに環境教育の機会を提供したり、地域の秋祭にタゲリ米を奉納したりするなど、多様な取り組みを展開しています。
これらの活動によって、タゲリの飛来数が増えただけでなく、タゲリ米を中心にした一連の取り組みによって、米作りという大変な仕事が地球環境保護への貢献という誇りに変わったといいます。地域の人々の間にコミュニケーションが増え、タゲリが飛来する地域へのアイデンティティが高まるなど、持続可能な地域づくりにとって不可欠な人々の絆が育まれています。(『ライフスタイルの転換に向けて、ともなる歩みを』より抜粋転載、H・H記)
4.ドキュメンタリー映画と講演会
教皇フランシスコの回勅『ラウダート・シ』の精神をさらに学ぶために、ドキュメンタリー映画の上映会と吉川まみ先生の講演会が予定されています。
●ドキュメンタリー映画「The Letter」上映会
4月21日(日)10:40〜12:00 於・パトリックホール1階
2022年に公開された『ラウダート・シ』に関連する映画です。この映画は、周縁に追いやられた貧しい人々や先住民族、若者や自然界の声の代弁者たちによる、教皇との対話を描いています。どなたでもご自由に鑑賞してください。
●吉川まみ先生による講演会
6月22日(土)14:00〜16:00 於・平塚教会聖堂
第6地区の福祉部会主催の講演会です。『ライフスタイルの転換に向けて、ともなる歩みを』の著者のお話を、平塚教会で聴くことができます。
平塚教会にフィリピン・コミュニティができるまでのお話を、ジェラルド・バリエステルさん、ベティ宮田さんと、ジョイ鈴木さんからうかがいました。
チラシを配ると、英語のミサは人でいっぱいになった
ジェラルド「ぼくが日本に初めて来たのは、1985年。18歳のときでした。最初は広島に来て、教会を探したら、立派なカテドラルがあってびっくりしました。1988年の終わりに平塚に来て、最初は夕陽ヶ丘に住みましたが、ここに教会があることは知りませんでした。だから藤沢教会の英語のミサに行っていました。そのあと中原に住むようになって、平塚の海岸に行こうと思って駅から歩いているとき、この教会を見つけました。よく見ると“カトリック”と書いてある。司祭館を訪ねるとヘイデン神父様が出ていらして、『英語のミサはないけど日曜日に日本語のミサがあるからいらっしゃい』といわれました。
日曜日にミサに行くと、長谷川陽さんが『どこの国の人ですか?』と声をかけてくれました。フィリピンだと答えると、『あの人もフィリピンの方ですよ』と、教会に一人だけいたフィリピンの人をしょうかいしてくれました。そのあと、ヘイデン神父様に英語のミサはできませんかとたずねると、『20人か25人ぐらい集めれば、ミサをたてましょう』と言ってくれたので、ぼくはフィリピン人の友達や知っている人たちに声をかけました。
それが1990年の6月か7月のことです。ヘイデン神父様は、毎月第一日曜日の午後2時からミサをやりましょうと言ってくれました。日曜日の日本語のミサに行くと、長谷川陽さんが『英語のミサがあったね』と言って水沢邦幸さんをしょうかいしてくれました。ぼくは英語のミサに、フィリピンの人だけじゃなくて英語を使うほかの外国人にも来てほしいと思っていたので、チラシを作ることにしました。みんな、ここに教会があることを知らなかったからです。
その話を水沢さんにすると、『じゃあ、うちの事務所に来ていっしょに作ろう』と言ってくれました。そのころ水沢さんは追分に事務所を持っていたので、そこに行ってぼくが英文を書いて、水沢さんが駅から教会までの地図を描いてくれました。水沢さんが『何枚ぐらい作りたい?』と聞くので、200枚と答えると印刷してくれました。事務所でいっしょに作業して、朝までかかったと思います。できあがったチラシを、フィリピンの人やほかの外国人に配ると、第一日曜日の英語のミサは人でいっぱいになりました。
ヘイデン神父様もとても喜んでくれたので、英語のミサを月に2回にしてくださいとお願いすると、『おー、いいですよ』と言ってくれました。その年の12月、教会でクリスマス・パーティーを開くことにしました。パーティーには100人ぐらいが集まりました。ほとんどがフィリピンの人でしたが、アメリカ人のファミリーもいました。パーティーの前に主だった人が集まって、「平塚フィリピン・コミュニティ」を作ることにしました。コミュニティの最初のリーダーは、ジョジョさんに決まりました」
ベティ「私は1985年に日本に来て、最初から平塚に住みました。そのころ大和教会には英語のミサがあり、私の姉もいたので、いっしょに大和教会に行っていました。ジェラルドからは、平塚に教会があって英語のミサを始めたから来てくださいといつも言われていました。1991年だと思いますが、平塚教会にフィリピン人の神父様がミサをあげに来てくれたときに、初めて平塚教会に行きました。その神父様がミサの説教の中で、『フィリピンの人に洗礼を授けたいが、誰に話したらいいかわからない。皆さんの中からリーダーを選んでください』と言いました。それで、ミサのあと選挙のようなことをやったら、私がリーダーに選ばれてしまいました。ジョジョさんのあとの2代目のリーダーです。それからしばらくは、ずっと私がリーダーをやっていました」
ジョイ「私がまだフィリピンにいる時から、うちの主人は平塚教会のシスター藤枝のところに通っていました。主人は仏教徒だったので、私と結婚するためにキリスト教の勉強をする必要があったからです。1991年に私が日本に来ると、主人は平塚教会に連れてきてくれました。それから毎週、主人といっしょに平塚教会の日本語のミサに出ていました。そのころもう英語のミサが行われていたのですが、誰もそのことを教えてくれなかったのです。何ヵ月かあとにフィリピン・コミュニティがあることを知って、それからは午前中に日本語のミサに出たあと、午後に英語のミサに出るようになりました。フィリピン・コミュニティでは、私はずっと会計をしていました」
ベティ「私がリーダーになってから、フィリピン・コミュニティでビンゴ大会をやるようになりました」
ジェラルド「あのころ平塚教会はまだ古い聖堂で、聖堂を新しくするというプロジェクトがあったから、ぼくたちはビンゴをやって協力することにしました。いちばん最初のビンゴは、ほんとうに楽しかった」
ジョイ「みんな協力して、賞品のために自分のポケットからお金を出しましたね。賞品はほとんど、フィリピン・コミュニティの役員が出したのですよね」
ジェラルド「お米とか、自転車とか、一等はフィリピンへの往復航空券でした。日本人の信徒から、賞品はどうしたのと聞かれたので、みんなで出し合ったと答えたら、すごいなあと言われました」
ベティ「1回のビンゴ大会の売上が、80万円とか100万円とか、いい時代でしたね。そのうちに日本人の信徒から、フィリピン・コミュニティからも教会委員会に代表者を出してくださいと言われました。その時、私が代表だったので、ひとりで委員会に出るようになりました。2006年だったと思います。南米コミュニティからは、マリア森重さんがいっしょに出ました。委員会でいろいろな話を聞くようになって、フィリピン・コミュニティにとってはとてもよかったと思います。自分たちのことだけでなく、教会全体のことがわかるようになったので。山手教会でも、藤沢教会でも、大和教会でも、平塚教会よりもずっと前から英語のミサがありましたが、フィリピン・コミュニティの代表が教会委員会に出ているのは平塚教会だけだと思います」
●young people’s voices
イースターカードのイラストを描いてくれた
深堀藍子さん(23歳)
「イースターカードのイラストを頼まれた時に、イースターはディズニーランドでもやっているくらいだから、お祭的な要素を絵にしてみてもいいのではないかと思いました。両親から、教会に若い人が来ないといつも聞かされていたので、ポップでかわいいイメージの、若い人にもすぐにわかるイースターカードになればと思って描きました」
●一粒会より *お礼とお願い*
いつも皆さまのお祈りとご献金ありがとうございます。
おかげさまで2023年度は、327,600円を横浜教区一粒会へお送りいたしました。今年度もどうぞよろしくお願いいたします。横浜教区全体では会員数が2000年に比べ2,300人減、平塚教会も2013年の96名から2023年の42名と大きく減少いたしました。これまでより厳しい実情です。どうぞ今後も司祭の召命と成聖を祈り、またご献金のご支援をお願いいたします。(一粒会委員:小関真与・田中和子)
「召命は、教会で生まれ、教会で育ち、教会で支えられます」教皇フランシスコ