言葉は肉となって、わたしたちの間に宿られた



すべての人が安心して生薬が使える世界へ
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去る11月27日、平塚市中央公民館にて、オボス神父様の講演会が行われました。主催は国連協会平塚支部、講演のテーマは「すべての人が安心して生薬が使える世界へ」でした。オボス神父様のご許可を得て、その内容の一部を抄録します。

みなさん、こんにちは。まず、自己紹介をいたします。
私は、西アフリカのベナン共和国の出身で、2002年に大学を卒業してカトリックの司祭になりました。そして、病院付きの神父(チャプレン)になりました。チャプレンとして医療活動に携わる中、欧米からの輸入薬を中心とする医療の問題点に直面し、その改善を図るための研究を始めました。そして、副作用の少ない生薬を研究するために、その研究の先進国のひとつである日本に興味を持ちました。
私が日本に研究に行きたいというと、家族、友人、教会関係者、政府関係者、みんなから反対されました。それは、日本が距離的に遠いということと、どういう人間がいるのかわからないという理由でした。「殺されるんじゃない?」という人もいました。ベナンには日本人はあまりいませんでしたが、アジアの人はたくさんいました。中には素晴らしい人もいましたが、二度と会いたくないと思うような人もいました。ですから、「あの人たちの国に行くの?」といわれてしまったのです。
そんな時に、みなさんもご存知の、ビートたけしといっしょにテレビに出ていたゾマホンさんが、「日本はそういう国ではありません」といってくれました。ゾマホンさんは、ベナンの出身なのです。それで私は、ゾマホンさんがベナンに作った「たけし日本語学校」に入学しました。
2006年に日本に渡り、東京の関口教会の近くにあるパリ外国宣教会にお世話になりました。まだ日本語が全然できなかったので、日本語学校に通いたかったのですが、お金がありません。それで、近くにある椿山荘ホテルで、毎日、朝から皿洗いをして、お客さんの朝食の残りをカバンに詰め、高田馬場にある早稲田外国語専門学校に通いました。早稲田外国語専門学校の人たちが、私を受け入れてくれる薬科大学を探してくれて、ついに、横浜薬科大学の理事長が、私を受け入れてくれることになりました。
横浜薬科大学に東京から通うのは大変なので、パリ外国宣教会の神父様が、横浜教区の梅村司教様に話してくれました。そして、茅ヶ崎教会から通うことができるようになりました。去年、横浜薬科大学漢方薬学科を卒業し、現在は大学院生として在籍しています。

ここからは、私が目指している未来について、お話しします。
今のベナンは、大変なことになっています。私は、神父になって、病院付きのチャプレンとしてやっていた時、アフリカの状況が本当に大変だということを再確認しました。

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ある時、病院の死亡率がパッと上がったのです。主な理由は腸チフスでした。腸チフスというのは、病原菌が腸の中に入って腸に穴が開いてしまう病気です。すぐに薬を処方しないと、命の危険があります。輸入薬はあるのですが、それが高くて買えない人が多かったのです。また、教会などに援助を求めて薬を買ってあげても、患者が飲んでくれない場合も多かったのです。
なぜ飲んでくれないのか調べると、ベナンの人たちは子どものころから、ずっと生薬を使っていることがわかりました。日本の漢方薬のような生薬がベナンにもあるのです。彼らは西洋薬には慣れていない。大人になってからいきなり西洋薬を飲むと、副作用が大変なのです。薬は高くて買えないし、手に入っても飲んでくれないので、腸チフスに罹ったら死を覚悟しなければならなかったのです。
チャプレンのところには、お金がなくて手術できない人が相談に来ます。その人たちに、頑張って生きようとも言えないし、頑張って死のうとも言えない。私も人間ですから、夜も眠れなくなる。自分も病気になるくらい大変でした。
そこで医師や薬剤師たちを地方の村に連れて行きました。そして、なぜ腸チフスに罹るのか、罹ったらどのような対策をとればいいのかを教えてもらいました。すると村の人たちは、その症状をなくすためには、ある木の樹液を採って飲ませるだけで大丈夫だといいました。最初は私も信じなかったのです。
ある時、腸チフスの手術を1回受けた女性が、私のところに訪ねて来ました。医者からは、手術をもう1回受けなければ死んでしまうと言われていました。でも、もう1回受けるお金はもうない。その上、1ヶ月以内にそういう大きな手術を2回も受けるのは無理だとも言われている。どちらにしても、死ぬしかないというのです。だから、病者の塗油を受けに来たというのです。
ちょうどその時、私は村の人が言っていた生薬を持っていたので、煎じて飲ませてみたのです。そうしたら、みるみるうちによくなって、3週間後には買い物ができるようになりました。それから10年経っていますが、今でもその女性は生きていて、この間ベナンに帰った時に、私の姿を見て泣いていました。そういうことがあったので、生薬の研究をするために日本にやって来たのです。
今後の計画は、まず日本の大学で博士課程までいって、それからベナンから生薬を持ってきて、日本の大学の先生方と病院の力を借りて、分析しようと思っています。成果が出たら、まず生薬を栽培するつもりです。そのために、現地に150ヘクタールの土地を買ってあります。そこで生薬を栽培して、お金のない人達にも安価で安全な生薬を届けたい。研究結果のデータがそろえば、ベナンの医学部や薬学部で生薬の使い方を教えることもできます。そのためのクリニックと研究所も、いま建設中です。
ここまでやってこられたのは、日本の人々のご協力のおかげです。それで、私が絶対にやらなければと思っているは、ベナンで栽培した生薬を、日本の基準を満たすようにして、日本に送ることです。日本の社会は高齢化していますが、皆さんの体にいちばん合うのは生薬だと思うのです。でも、日本でも生薬がすごく高くなっています。ですから、ベナンで栽培することによって、日本の漢方薬を少しでも安くできればと思います。リウマチや高血圧などに効果のある生薬が、アフリカにあることも確認されています。
私にはベナンの貧しい人たちを救うという大きな目標がありますが、健康というのは全世界の問題です。そのために何かができるよう、がんばっていきたいと思っています。ご清聴いただきありがとうございました。