
今年5月13日に、マリア E・・さんが帰天されました。享年86歳でした。E・・子さんが帰天されるまでの1年間、どんなご様子だったのかを、ご遺族の T・・さんにうかがいました。
母が平塚教会に転入したのは、昭和38年(1963年)ですから、平塚教会には62年間お世話になったことになります。
帰天する1年前の去年の5月、孫が遊びに来て、母に後ろから飛びついた時に、母は圧迫骨折をしてしまいました。病院に行ってレントゲンを撮ると、十二指腸に大きな癌が見つかりました。かなり大きいので手術はできないということで、ひとまず済生会病院に入院して、骨折の治療にあたりました。母には癌のことは伝えませんでした。
7月には歩けるようになったので、退院して自宅で過ごしました。自分のことは自分でできるのですが、少し認知症が始まっていました。去年の夏は、昼間は独りで過ごし、夜になると私たちが帰ってくるという暮らしでした。運動機能のリハビリと入浴のために、週2回デイサービスに通っていました。
9月になると、腰が痛いと言いだしたので、再び済生会病院に入院させました。ところが、いよいよ独りでは動けなくなり、病院にもいつまでもいられないので、平塚市内のホスピスに移りました。病院の先生には、もう年を越せないかもしれないと言われました。
このホスピスが、母にとても寄り添ってくださり、母も気に入っているようでした。ホスピスに入ってからは、自分の好きなおかずは少し食べるのですが、主食はほとんど受け付けなくなりました。そこで、メイバランスという栄養剤を冷蔵庫に補給しておいて、ホスピスの方に飲ませてもらいました。母はそれを、「美味しい、美味しい」と言って、朝昼晩飲んでいました。
母は、ヘルパーさんや看護師さんなど、来る人来る人に「ありがとうね」と言っていました。お風呂に入れてもらうのが気持ち良かったようで、それをなぜか露天風呂と勘違いしていて、「今日も露天風呂がすごく気持ちよくて、典子にも入らせてあげたいから聞いてみるよ」などと言っていました。
そんなことが5月の初めぐらいまで続いたのですが、5月10日あたりから、見舞いに行ってもほとんど寝ているようになりました。12日には意識が朦朧としてきましたが、孫が手を握って話しかけると首が少し動くので、耳は聞こえていたようです。13日の朝、7時半ごろに電話がかかってきて、「息が荒くなったから、すぐ来てくれますか」と言われました。すぐに駆けつけましたが、「先ほど息を引き取られました」と言われました。安らかな最期だったそうです。
ホスピスの方たちは、母がいつも「ありがとう」と言っていたからか、「T・・さん、T・・さん」と言って、みんなで泣いてくださり、私もつられて泣いてしまいました。亡くなってからも部屋に入れ替わり立ち替わり来て泣いてくださいました。施設の方たちには、ほんとうに感謝しかありません。
ホスピスに入ってからは、テハン神父さまがよくご聖体を持って来てくださいました。年が明けて、神父さまが来てくださった時に、母が急に「告解がしたい」と言い出して、神父さまを残して私たちは部屋を出たこともありました。意識がはっきりしていた時には、日曜日のミサの始まる時間になると、ロザリオを持ってずっとお祈りをしていました。
帰天1週間後の5月19日に、平塚教会で葬儀ミサと告別式をあげていただきました。皆さまには、本当にお世話になりました。








