カトリック平塚教会報 第102号 2015年 4月 5日発行
平塚教会主任司祭 トーマス・テハン
人生の中で目にする普通のことが、愛の力によって、時に特別なものにかわることがあります。あるひとつの病院へ2度訪問した時の経験をみなさんにお伝えしたいと思います。ある土曜日の午後、一本の電話をいただきました。交通事故の知らせです。Kさんは、ICU(集中治療室)に搬送され、重体でした。Kさんは妊娠7ヵ月、母子の命を救うことに全力が注がれました。私のところへ電話をかけてくれた仲間の神父が翌日曜日にその病院へ行くと聞き、安心して神の御手にゆだねようと思いました。日曜日当日、平塚教会でのミサ後、もう一人のKさん(K2さん)が私のところにやって来ました。K2さんのご主人も同じ病院に入院されているとのことでした。また、すでに入院しているKさんに日本語を教えていた信者さんがKさんに会いに行きたいとおっしゃっていて、とにかく私もその病院にシスター吉屋とともに行くことにしました。
病院に到着すると、まず2階のICUに向かいました。インターフォンで面会依頼をすると、看護師の方が出てきて面会できるのはご家族のみと言われました。その方によると、おなかの赤ちゃんは無事とのこと。Kさんに会えないのは残念でしたが、12階にあるK2さんのご主人の病室訪問は可能でしたので、そちらに向かいました。
病室に入ると、K2さんがお嬢さん、お孫さんとともにいらっしゃいました。病者の塗油の最中、ベッドのカーテンのそばに女性の方が来られ、「平塚教会の方ですか?」とたずねられました。すぐに、その女性がかつて平塚教会で活発に活動されていた方であると気付きました。その方のご主人はK2さんのご主人のお隣のベッドに入院されていたのです。すぐにそちらに参りますとお伝えしました。お嬢さんもご一緒でした。Kさんのために用意した御聖体がまだありましたので、病室は喜びで満ち溢れました。
2日後、Kさんからお電話をいただきました。日曜日の面会がかなわず残念だったけれど、木曜日に手術の予定なのでお祈りをお願いしたいとの内容でした。また、別の信者さんからもお電話をいただき、その方もKさんのお見舞いに行く予定で、もしICUに入れそうもないようだったら、「家族です」と答えてくださいと言われたとのことでした。
Kさんは7階の病室に移っていました。右手にギブスをして、腕が動かないように鉄のフレームに固定され、仰向けの状態です。マリア様の大きな御絵が、ベッドを見守っていました。私たちに会えて本当に喜んでおられました。英語でお話することも苦にならない様子でした。おなかの赤ちゃんのことを一番心配しておられ、産まれたらなにはさておき赤ちゃんのお世話をしたいとおっしゃっていました。唯一お話を控えられたのは、病者の塗油と御聖体拝領の時だけでした。
Kさんはすでに2度の手術を受けていました。最初の手術は神経の損傷の有無を確認するもので、無事に終わりました。2回目の手術では、腕に3ヵ所の骨折が発見されました。木曜日は小指の手術が予定されていました。Kさんはさらに2度手術が必要で、あと2ヵ月の入院が見込まれました。日本語はほとんど話しませんが、日本に滞在してちょうど1年以上となり、今の状況の中で最大限頑張っていました。信仰心も強く、インターネットをとおして南米の家族や友達とも連絡をとっています。たくさんの人達が彼女のためにお祈りをしていることを知って、とても喜んでおられました。おなかの赤ちゃんをかばった右腕が今でも使えることが本当に奇跡だと、病院の職員に語っていました。痛みはありますが、お子さんのために薬の使用を最大限控えています。
愛と信仰がKさんの中で力強く生きていることを実感できたことは、神様の大きなお恵みです。私たちは、苦しみや困難を経験してはじめて、変わることができるものなのです。