
わたしたちの信仰の中心と希望の本質は、キリストの復活に深く根差しています。福音書を注意深く読む時、この神秘が、一人の人間、すなわち神の御子が、死者の間から復活されたためだけでなく、復活のためにとられたその方法によっても、驚くべきものであることに気づきます。~わたしたちはプライドのために、あるいは弱く見えることを恐れ、傷を隠したがります。「たいしたことではない」「過ぎたことだ」と言いつつも、自分を傷つけた裏切りと本当に和解したわけではないのです。時には、弱く見られたり、再び苦しむ危険を避けるために、ゆるすことの困難を隠そうとします。しかし、イエスは違います。イエスは自らの傷跡をゆるしの保証として差し出します。そして、復活とは過去の抹消ではなく、いつくしみの希望への変容であることを示されるのです。(抜粋)
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