希望とは、神は決して裏切ることがないと知ること

2025-08-13

「わたしたちの希望、イエス・キリスト」をめぐるカテケーシスでは、「III.イエスの過越 2.裏切り『まさかわたしのことでは』(マルコ14,19)」をテーマに、教皇による考察が行われた。~親愛なる友人の皆さん、「まさかわたしのことでは」というこの問いは、おそらくわれわれが自分自身に向けることができる、最も誠実な問いの一つでしょう。これは素朴な者の問いではなく、自らの脆さを知った弟子が発する問いです。それは、罪を犯した者の叫びではなく、愛したいと望みながらも、傷つけることもできると知る者のつぶやきです。そして、この自覚のもとに、救いの道は始まるのです。~謙遜で、傷つき、常に誠実なこの神の愛にたどり着くことができるならば、そこでわたしたちは真に生まれ変わることができるのです。そして、もう裏切り者としてでなく、常に愛された子として生き始めるのです。(抜粋)

外部サイトへ

Recent articles

グアダルーペの聖母マリアに捧げるミサ

グアダルーペの聖母マリア(ラテンアメリカの保護者)の日、教皇レオ14世は、チカンでミサを捧げられた。~教皇は聖母 …

レバノン:「平和を単に目標ではなく道として選ぼう」

教皇レオ14世は、レバノン訪問を終了、ローマに戻られた。ベイルートの空港における送別式で、教皇は「武器は殺し、対 …

貧しい人を無視して突き進む社会に警告

レバノン訪問最終日、教皇レオ14世は、ベイルート近郊の精神科病院を訪問された。~教皇は、特にわたしたちキリスト信 …

お年寄りは人民の知恵、社会全体の宝

教皇レオ14世は、滞在中のトルコ・イスタンブールで、高齢者施設を訪問された。~貧しき人々の小さな姉妹会が運営する …