言葉は肉となって、わたしたちの間に宿られた

特集 なぜ教会に来ているのか

カトリック信者は、どうして毎週教会に通って来るのでしょうか。そこには人それぞれの理由があり、信仰の形があります。今号では、平塚教会の信徒の中から、幼児期に洗礼を受けた8人の方に、自らの歴史を振り返っていただきました。クリスマスに初めて教会を訪れた方にも、お読みいただければ幸いです。

O・・さん

台湾(中華民国)の教会で、家族全員で洗礼を受けました。私は4歳でした。台湾にはカトリック信者が多いのです。カトリック教会は世界中にあり、どこも同じです。聖歌は日本のカトリック聖歌のように難しいものではなく、若い人のギターで歌う、リズム感のある楽しいものでした。幼女時代、教会は楽しかったです。でもラテン語のミサはとても長く感じました。子供ですから、教会の日曜ミサのために遊べないのが面白くないときもありました。

21歳の時、母が亡くなりました。ショックで長い間、元気のない日々をすごしました。信仰はあるけれど、教会から足が遠のきました。1973年、大学卒業のころオイルショックで就職難でしたが、翻訳や通訳の仕事をしました。通訳ガイドとして、台湾に旅行に来た日本人男性 O・・と出会いました。父は私が日本人と結婚することに反対でした。軍人でしたが反日感情からではなく、日本の女性の地位が低く、佐藤首相までが奥さんを殴ったという話が伝わってきたので反対したのです。今思うと、父はさびしかったのだと思います。

日本に来て39年になります。現在、実家の家族は兄を除いて全員ニューヨークにおり、父は5年前にそこで96歳で亡くなりました。それより早い6年前に、私の次女が亡くなりました。倒れて担ぎ込まれた平塚の病院の対応に不信感を持ったので、思い出すたびに怒りと悲しみに苛まれます。でも、次女には信仰がありましたので、神様に天国に早く行けるように祈りました。夫 O・・も、今年84歳で亡くなりました。

「何もわからない赤ちゃんだった私に洗礼をさずけるなんて」と長女は怒ります。いつか彼女もわかるようになるはずです。なぜなら、私自身は幼いころに学んだ信仰が基礎としてあり、神がいつもいっしょにいてくださることを確信しているからです。この信仰が私を生かしてくれているのですから。


K・・さん

私は東京の下井草教会で、生後1か月の時に受洗しました。洗礼名はペルペトゥア。洗礼を授けて下さった神父様が選んで下さったそうです。
私は母方の祖母と両親が信者の家庭で育ちました。また、小学校4年生から高校卒業までカトリック系の学校に通いましたので、気が付くといつも信仰と教会が身近にある生活でした。しかし、成長と共に、洗礼のお恵みを頂いた有難さよりも、信仰を自分で選択できなかった事への疑問の方が大きくなり、しだいに教会と距離を置くようになりました。

教会を離れてから25年も経ったころ、病を得、苦しい気持ちを抱えていた時に、心に一番に浮かんだのは、私の心の奥底にあった神様のことでした。そして、思い切って平塚教会を訪ねました。そんな不安な気持ちで突然訪ねた私を、ブランチフィールド神父様、シスターN、教会の皆様が暖かく迎えて下さり、我が家に帰ってきたような安堵の気持ちで一杯になったことは忘れられない思い出です。

再び教会に戻って来たとはいえ、迷ったり立ち止まったりすることも多々あり、祈りながら、教会の皆様に助けて頂きながらの毎日です。
私たちの日常は、色々な信仰や価値観の方々と共にあります。これからも、私の友人隣人や家族など、私を支えて下さっているたくさんの方々の価値観やお気持ちを大切に、生きて行きたいと思っています。


O・・さん

2017年冬 私の信仰について振り返ってみます。
洗礼を授かった日のことは、覚えていません。現在、六本木におられます、ダナン・マーリー神父様から、洗礼を授かりました。その日からこの道を歩いてきたことに、なんの迷いもなく、また、疑問を持ったことは一度もありません。何かこの機会に、記すことができたら、幸いです。

まず、最初に「受洗ができ、今日もここに生かされていること」「多くの人に支えられてきたこと」、また、平等に与えられ必ず訪れる「明日を迎えられる」ことに感謝しています。
今年八月にも「勧めの言葉」で、皆さんに私の幼少時代を、とても苦労したことなどを話しましたが、人として生まれたほぼすべての子供が通る成長期に大変苦労をしました。「なぜ周りの子と同じようにできないのか?」とずいぶん悩んだ時期がありました。
そこから生じた孤独感、その経験は、その後の私の人生に大きく影響しました。その頃は、私自身「祈る」という形をとることができませんでした。そこまでの自覚を持っていなかったからです。身体の成長とともに、自分自身が変化し、精神的にも成長し、考える範囲が広くなってきたことなどを記憶しています。
その頃の自分を支えてくれたのは、両親、姉であることは言うまでもありませんが、如何なる時も助けてくださったのは、あの御方です。幼い私は、救われたのです。
ある晩、雪が降りました。悲しい想いで夜空を眺めていましたが、私の上に降りそそぐ雪が小さな私の手のひらに落ちてきました。その美しさと暖かさは、今でも覚えています。後に知る「恐れることはない」という御言葉を、まさに身をもって受け取ることができたのです。祈ることがままならないなかでのことでした。

時は経ち、結婚をする時期になり、突然現われましたのが、主人です。やはり、彼も幼児洗礼を授かっていました。彼は、私の何倍も、恐らく信仰深いのだと感じさせられたことが、ともに暮らしていて幾度もあります。私を今まで、どんな場面でも支えてくれていることに感謝しています。
結婚後、主人が自衛官のため何度も転勤があり、その行った先々では、一から新しい生活で、いつも一人で生活を立て直してきました。主人は、仕事に行ってしまえば夜まで帰宅せず、私はいつも必死でした。基地の中の飛行機を相手によく会話をしていました。
大人になって、また私には孤独が繰り返しやってきましたが、改めて考えてみると、そこには、孤独感とそこから生まれる自身の気付きが生まれていました。そして、そこにも神の愛を感じていました。

神は、誰からも愛されることなく寂しい思いをしている人のお姿で、私の前に現れたり、富に恵まれ、目の前の本当の幸せを見逃してしまっている人のお姿で、現れてくださいました。その度に、私にも、物事の本質、人間の本当のあり方、今何をしなくてはならないかなどを問いかけてくださいました。
最後に、私が生きてきた中で、あなたがお与えくださいました愛を私の身勝手な判断で選択し、それが正しいと信じてきたことをお許し下さいますか? 私に気付きの力をお与え下さっているのなら、この先、あなたに少しでも近づけて下さい。大切なものを見逃さない心の目を、私に与えてください。


S・・さん

今回、編集の方から「私が教会に行く理由」というテーマを頂きました。正直なところ、普段あまり考えたことのないテーマでしたので、どこにその理由があるのか小さい頃からの記憶をたどってみることにしました。

幼少期から親と共に教会に行っていましたが、これは半強制的な動機になります。小学校低学年時も、難しい言葉ばかりのミサは意味が分からず、かなり退屈で時間を持て余すだけだったことを記憶しています。その頃の楽しみは、聖堂後方の二階席からミサの風景を見下ろすことや、真逆の大きな丸いステンドグラスの窓の隙間から外を見ることくらいだったような気がします。
もう少し大きくなると、違う学区の友達と会うことや、毎月第二日曜日に行うビンゴ大会が楽しみとなりました。この頃の記憶に残っていることは多く、遠足で行った磯場での蟹やヤドカリ捕り、みかん狩り、茅ヶ崎共同墓地で掃除の手伝いもせずカブトムシの幼虫やトンボを捕まえたこと、芝の坂を利用して段ボールを使ったそり遊びをしたこと、敷地内に隠されたイースターエッグ探しなど。侍者中のおしゃべりに対しミサを中断して神父様に叱られたことや、聖堂の吊り照明の切れた電球交換で小さい体の自分が埃だらけの天井裏に入り全身湿疹だらけになったこと、松剪定の手伝いで潜んでいた毛虫に刺されて腫れあがったことなど、よくこれだけの出来事があったと感心する程です。
中高生になると定期試験が出てきますが、2時間弱のミサを欠席して勉強するよりも、神頼みした方が効果的だろうとこの時ばかりは妙に信仰心が厚くなりましたが、当然、これがいまだに教会に来る理由にはなっていません。大学生になると青年会の活動を通して他の教会を巡ったり、ワールドユースデイに参加したりと、大きく自分の視野や世界を広げる機会にはなりましたが、それが全てではないような気がします。

ここまで振り返っても、やっぱりまだ教会に行く明確な理由は見つかりません。ただ、小さい頃から教会の中で大勢の方に関わって頂いてきたことは確かです。ときには親切で優しい所ばかりでなく嫌な面も見えたりする、家族ではない “家族” に毎週会いに行っている様な気もします。また、退屈だったミサや聖書の言葉を自分なりに少しは理解できるようになってからは、日常生活でとった言動に対し、ミサで気付かされ、軌道修正する機会になっていることを感じて教会に行っているのかもしれないと思ったりもします。なぞは解けませんが、その理由を頭で決めつけずニュートラルな状態にしておくことも大切かな、と勝手に腹落ちさせました。

最後に、とって付けた様ですが、小さい頃からの教会に行く楽しみの一つに夜のミサがあります。特に肌寒いクリスマスイブのミサに参加する全員が、照明を消した聖堂で手にキャンドルを持ち、澄んだ空気の中で聖歌を歌う光景を変わりなく楽しみにしています。クリスマスおめでとうございます。


T・・さん

主のご降誕おめでとうございます。私は平塚生まれの平塚育ちですが、私の両親は二人とも長崎出身の信者(隠れキリシタンの子孫!?)なので、主日のミサにあずかることに関してはとても厳格でした。母はその昔、毎朝、雨風が強くても6時のミサにあずかってから登校していたと聞いています。勉強に関してはあまりうるさく言われませんでしたが、教会には必ず行くように仕付けられました。日曜日に部活があった時も、あまりいい顔はしていなかったと記憶にあります。やがて運転免許を取ると、運転手となって両親とともに教会に行くことになり、もはや逃げること(!?)ができなくなりました。

幼児洗礼の仲間の中には、仕事などで忙しくて教会に来られなくなったりする人が多いです。しかし私の場合は「忙しい」などは論外です。舟をこぎながら(?)ごミサにあずかっている時もあります。でも今となっては、それでもごミサにあずかる事が大事なのだと両親から教えられてきたのだと思います。青年会の時代に教会学校のリーダーとして子どもたちとかかわっていた頃は、人数が多く、若い世代が生き生きと教会の活動を担っていた良き時代だったと思います。今は子どもの数も減少して、あの頃のような雰囲気がないのが少しさびしいです。
教会に行くように私に厳しく教えてきた両親は、毎日必ず祈る時間を設けています。父方、母方ともに親族に修道女がおり、大分教区のパウロ浜口末男司教は母の従兄弟です。私は時間に追われるばかりで両親のように祈ることはなかなかできませんが、なるべく就寝前にはどんな形であれ(?)祈るように心がけています。

家庭が私に与えてくれたカトリック教会の教えは、最大の贈り物だと思っています。幼い時に「神さま」を教えてもらった心には、神への絶対的な信頼が植え付けられているのだと思います。だから、何があっても大丈夫、と思えるのです。神さまがいつも共にいてくださるという安心感。何に動じることがあるのでしょうか…。


H・・さん

幼児洗礼とは、自分の意思というのは全くなく洗礼をうけることになります。私の場合、9月9日に生まれ、9月22日に受洗しています。それから55年という月日がたっていますが、言えることがあります。
1『環境』、2『両親』、3『息子と病気』、4『自分の病気』の4つのことから振り返ってみようと思います。

1『環境』
今でも二宮教会へ行くと、松林から海が見えて大好きな場所ですが、そのような環境の中で、大好きなシスター(幼稚園の時の先生)のおかげで、素直に「はい」で育ちました。
3年くらい前に、その方がその後どのような人生を歩み、帰天されたかを聞き、尊敬する方はどなたですかときかれれば、その方のお名前を申し上げたいと思います。
このように、子供のころから教会の中であたたかい心、あたたかい眼差しをいただいたので、私からも与えていかれるように、と思うのです。

2『両親』
祖父母、両親が信者であり、教会に行っていることは大きな出来事なのです。子供にとって日曜日の過ごし方は選択肢がなく、教会に当たり前のように行くことになるのです。そのような家で育ちましたが、「教会へ行きなさい」と言われたことはないです。

3『息子と病気』
親は心を通していろいろなことを学ぶものです。息子は生まれたとき、病名をもっていました。二度の検査入院の後、1歳4か月で手術をすることになります。それまで生きることができたので、手術も受けられたし、その後は歩けるようにもなり、なんでもできるようになりました。
ただ、大人でしたら、麻酔から覚めたら「手術が終了した」と思いますが、1歳の子どもにとっては、真っ暗な闇の中でただ一人、恐怖の体験であり、トラウマとなって、その後、息子は苦しむことになります。
そしてあるとき、息子から、「お母さん、ぼくの話をきいてくれる?」の問いかけに「いいよ」と答えたら、安心したのでしょう、一歩も外に出ることができなくなり、家の中で息子の話を聴くことになります。闇のこと、どうして家から出られないのかなど、いろいろ話してくれました。9か月間かかりましたが、息子は新しい世界へと自分から出ていきました。
生まれてすぐに検査や手術と大変だったので、心と体を休める必要があったのでしょう。息子が14歳のときでした。今は社会人となって家を出て働いています。9か月間の子供の傾聴は、子供と同じ時期にお互い病気になり、一緒にいられなかった親子なので、深い所で心の対話ができたのは、神様からのプレゼントの時間だと思っています。

4『自分の病気』
出産してから3か月たったころ、身体の異変に気づき、検査の結果、難病の病名を告げられました。自分の体が変わっていく体験は恐怖でした。幸いにして6か月で完治し、大きな恵みをいただいたわけです。32歳のときでした。
3と4の体験から、神様にいっぱい話すようになり、必死で聖書を読むようになったのです。よって幼児洗礼の私は、環境、人、出来事を通し変えられてきただけです。
『我が人生、神の御手の中にあり』


F・・さん

先日( 9/30~10/3 )、奄美大島へ行ってきました。ルーツを探す旅です。
何故、奄美大島かと言いますと
私は長崎に生まれ洗礼を受けましたが、父の仕事の関係でほぼ2年おきに、3才から横浜を皮切りに北は北海道小樽から南は鹿児島県奄美大島まで、引越しの連続でした。小学校だけでも1日入学を含めると5回転校しています。あまり教会に通うこともできなかったのですが、そのような中、私の信仰の源となったのが奄美大島での生活でした。
小5~中2の10月まで3年半。小学校、中学校共に通学途中に名瀬市(今は奄美市)マリア教会があり、登下校時、時間があると教会に行き、学び、遊び、時を過ごしていました。教会へ行くというより、教会から学校へ、自宅へ通うといったほうが良いかもしれません。初聖体も弟と一緒に受け、侍者会に入り日曜のミサと平日の朝6時からのミサも交代で担当する日々でした。

その後、倉敷に転校し高校卒業後、学生時代は下宿で一人暮らし、自然と教会に行く機会もなくなり、平塚の会社に就職してからも土日の仕事や独身の身軽さで教会は更に遠ざかって行きます。数年経ったでしょうか、当時住んでいた独身寮の寮監から驚いたような声で「外国の人が訪ねてきてるぞ」と連絡があり玄関へ行くと、なんと神父様が立っています。クレイトン神父様です。
「あなたの長崎の伯母さんから手紙を頂きました。伯母さんがあなたのことを大変心配されてます。一度教会へおいでなさい」
冬の寒い時期だったと記憶しています。平塚教会へ初めて行きました。どなただったか覚えていませんが、ストーブ近くの席に案内していただきました。久しぶりのミサ、その時感じたことが、私にも座る場所があった。暖かかった。マリア教会と同じ感覚がよみがえってきます。

「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか」(ヨハネ14-2)

それから、教会へ通い始めた・・・ではなく、それからも行かなかったり行ったり行かなかったりが続きましたが、結婚を機に行くほうが多くなり今に至っています。

マリア教会で楽しく過ごした日々、畳敷きの聖堂でロザリオを手繰った時、足がしびれて立てなくなったミサ、弟と食パンで練習した初聖体、台風で神父様と侍者だけの平日朝のミサ、などなど。マリア教会も建替えられて昔の面影は残っていませんが、50年ぶりに訪ねた私を暖かく包んでくれました。今回あずかったマリア教会でのミサでも、平塚教会に初めて行った時と同じことを感じていました。私の座る場所がここにある。包まれていると。


H・・さん

私は生まれて3週間後に、横須賀の三笠教会で洗礼を受けました。家族全員がクリスチャンで、子どもの頃は家族と一緒に毎週ミサにあずかっていました。ただ、公立の小学校に入学したあたりから、家庭や教会と、普通の社会生活を、使い分けるすべを覚えていったように思います。

20歳前後からは、日曜日の朝起きるのがつらいとか、遊びに行きたいとかで、あまり教会に行かなくなりました。就職して独り暮らしを始めると、年に一度だけ行く、いわゆるクリスマス信者になりました。結婚した相手はクリスチャンで、教会で式を上げましたが、それでも日曜の朝は寝坊しがちでした。

結婚して半年後、小田急線の百合ヶ丘駅近くにある団地に引っ越しました。引っ越し荷物の整理が一段落したところで、近所を散歩しようと家を出ると、ものの2分も歩かないところにカトリック百合ヶ丘教会がありました。
「これは行かないわけにいかないね」と妻と話しましたが、それでも月1回ミサにあずかればいいほうでした。

やがて長女が生まれると、幼児洗礼を授けるべきかどうか、少し迷いました。自分自身で信仰を選んだという強い確信がないままに、娘に信仰を受け渡してしまっていいものかどうかという迷いです。ただ、生まれながらにキリスト教という、普通の日本社会にとっての異物を内に抱えて生きてきたことこそが、今の自分という存在を形作っていると考えるに至って、娘にもその複雑さを受け渡すことにしたのです。若いころとは違って、その複雑さを愛せるようになっていたのだと思います。

そんな頼りない親の元で幼児洗礼を授かったにもかかわらず、長女は物心がつくと、なぜか毎週ミサに行きたがりました。それで、長女に引かれるようにして、私も教会に通うようになりました。「牛に引かれて善光寺参り」という故事がありますが、そういえば長女は「うし年」生まれでした。

やがて平塚に越してくると、やはり家からそう遠くないところに教会があり、4人の子どもに引かれるように通い始めて今日に至っています。
中途半端な信仰しか持ち合わせていない私が教会に通えているのは、私の力ではなく、神の導きによるのだと思います。

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