聖土曜日ミサの中で、司祭は、火をともす前にろうそくを祝別し、その夜の中で最も神聖なものである十字架についてお話をします。また司祭は十字架の印をなぞります。そしてこの新しい創造は神の愛を通して生じたものであることを思い起こします。「人と神」が、また「人と人」がお互いに和解して生きることができるように、神の愛は「キリストが死ぬ」という形で示されました。司祭はまた、アルファとオメガという二つの印をなぞります。この二つの印は、すべてのものの初めと終わりを意味します。この二つの印はギリシア語のアルファベットの始めと終わりの文字です。こうして、その一年のお祝いが始まるのです。このお祝いでは、「今」という瞬間が大切であるとされています。私たちは過去、現在、そして未来をすべてキリストの人生における出来事に結びつけます。このことが祝いの本質なのです。最後に5つの香料がろうそくに描かれた十字架に付けられます。それは私たちが神の啓示による神秘の中にいることを意味しています。

復活のろうそくが灯された時、祝別された火は消されます。暗闇の中にあるただ一つの光であるろうそくが掲げられて教会の入り口に運ばれる時、それは永遠の光という性質を持つのです。「キリストの光」という言葉は復活を意味し、会衆は「神に感謝」と応えます。復活のろうそくの光が会衆の隅々まで広がる時、会衆に加えて教会の建物自体が復活するように思われます。そして聖書の中にあるたくさんの文が朗読され、復活という出来事に続く歴史を物語るのです。私が最も素晴らしいと感じるのは、式典の簡素であるということと、神の世を広げると宣言する信者を招き入れている点です。