喜び

カトリック平塚教会報 第90号 2011年 4月 24日発行

平塚教会主任司祭 トーマス・テハン

ご復活おめでとうございます。皆さんのお蔭で、四旬節中祈りと断食と御言葉により、キリストと出会い、求道者と共に歩みました。「それとも、あなた方は知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれる洗礼を受けた私たちはみな、その死にあずかる洗礼を受けたのではありませんか。私たちは、キリストの死にあずかる洗礼によって、キリストとともに葬られたのです。それが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです」(パウロ、ローマへの手紙より)。キリストのように生活するという事です。

私にとって、ルカ福音書24章は、現代教会の在り方についてヒントが一杯です。
女たちは弟子よりも先に墓の所に行きました。この女たちは、マグダラのマリアとヨハナとヤコブの母マリアでした。マグダラのマリアは回心した方でした。そしてイエスの足を洗いました。イエスがそこからヒントを頂き、最後の晩餐で弟子の足を洗いました。そして、弟子たちに「互いに足を洗いなさい」と仰いました。マグダラのマリアは回心し、イエスに出会い、イエスの弟子になり、証ししました。
彼女たちと一緒にいた他の女たちも、この墓の事を使徒たちに話しました。ところが使徒たちはこの話はたわごとと思い、女たちを信用しませんでした。しかし、ペテロは立ち上がると走って墓へ行き、かがんでのぞき込んだところ、亜麻布だけであったのを見、それで、この出来事に驚いて家に帰りました。
次にエマオに行く二人の弟子の話になります。二人でこのいっさいの出来事について話し合っていました。話し合ったり、論じあったりしているうちに、イエスご自身が近づいて、彼らとともに道を歩いておられました。しかし、二人の目はさえぎられていて、イエスだとわからず、イエスは彼らに言われました。
「何のことですか」。すると二人は暗い顔つきになって、立ち止まり、二人の弟子は話しはじめました。その事は大事だと思います。心配する事や悩む事を話すのに集中し、もう一人の人がイエスだと分りませんでした。心配事や悩み事を持っている時、話す事や見る事により、なんとか気持ちが楽になります。イエスは最初に二人の話の説明を聞いてから、彼らに贈り物として、聖書からの大事な話をしました。
それから、彼らは、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕刻になりましたし、日もおおかた傾きましたから」と言いました。彼らと共に食卓に着かれると、イエスはパンを取って祝福し、裂いて彼らに渡されました。それで、彼らの目が開かれ、イエスだと分りました。するとイエスは、彼らに見えなくなりました。そこで二人は話し合いました。「道々お話しになっている間も、聖書を説明してくださった間も、私たちの心はうちに燃えていたではないか」。
イエスは言葉だけではなく、行いとして一緒に食事をしました。本当の人間の出会いでしょう。イエスだと分った時、二人の弟子は溢れる喜びを感じました。二人は疲れていたのに、すぐにイェルサレムに戻り、ほかの弟子に知らせました。

私たちも弱い人の立場に立って話し合い、よく聞いてから相手に心からの贈り物をあげ、相手の中に居られるイエスに出会ったら、弟子たちのように喜びを味わう事になるのではないでしょうか。

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